山国護国神社と山国郷
結構、京都市内からの周山街道では遠い感じがして
園部から裏の道を行きましたが、それでも遠い(45分ぐらい)
山国郷はこのあたりの木材が、平安京内裏造営に使われたことから以来、材木の供給地となり
天皇家と近く「勤王」の思いが強い地域でもありました。
幕末、山陽道鎮撫総督であった西園寺公望が各地で「農兵」の呼びかけをしたところ
この山国でも農兵隊が結成され(山国隊)慶応四年一月十一日に山国神社に集結し、出発した。
十月第二日曜日に行われる「還幸祭」には、山国隊鼓笛行進の奉納が行われる。
山国隊は鳥取藩に属し、隊長・河田佐久馬の下で関東から奥羽にかけて転戦した。
明治二年二月二十一日に凱旋するも、隊からは七名の戦病死者を出し
彼らの招魂社を立てたのが「山国護国神社」の始まりである(山国神社とは500mほど離れている)
鼓笛隊の橋を渡る
山国護国神社
最初の七名の墓標
隊士らの招魂碑が並ぶ
隊長・河田佐久馬と司令長の原六郎(北垣国道の盟友。生野の変後に鳥取藩に身を寄せる)
原六郎の碑文だが、ちょっと読めない
池田慶徳の碑
槙村正直の碑
近くの常照皇寺にも行ってきました
拝観はできるが無人(?)で志納金を納めて入る
御陵がある
紅葉のころはきれいなんだろうな
有名な九重桜