エノカマの旅の途中

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東山・霊山山頂にある伊藤博文の石碑

(2014年6月7日 探訪・散策)
先週のツアーでは山口の井上馨あたりのでかい石碑を何か所も見たんですが
先生から「霊山の裏の方にもある」ってことも聞いて、早速行って見ようとこの講演の前に行ってきました。
(ほとんど載っている文献はないと思います。参考→こちら)



霊山護国神社は木戸孝允の墓や龍馬・慎太郎の墓があるとして有名ですが、敷地の山へ向かって
右側にある階段を上ると霊明神社があり、さらに正法寺があるのはこちらで紹介してますが、さらに正法寺本堂
手前を左へ曲がると品川弥二郎夫妻の墓があり、フェンス越しに木戸孝允の墓の真上に出ます。

今日はそのさらに奥へと向かうわけですが、僕も事前にネットでくぐって行ったのですが道はなく
斜面を無理無理に登る形となり、ちゃんとした道はありません。
(そんなところを歩く人がそれなりにいるから道らしくはなってるんだけど。樹木にテープが貼ってあり目印に行きます)
調べて知ったんだけど、このあたりは(東山)霊山城と言う足利時代に城があったところなので
「山城好き」の皆さんが行かれるようで、彼らにとっては「道なき道」ってのは慣れてるんでしょうね。
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山道を歩いて10分もかからないぐらい、ちゃんとした道(?)と合流するあたりにその碑はありました。
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高さはこんな感じ
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文面の解説は上記のリンクで書いてあります。
(以下はそのリンク参照)
・北面の詩
むかしを追憶すると感きわまってしまう
木戸公がなくなり三十三年もたったとは夢のようだ
木戸公の容姿は今でもはっきりと覚えている
公の名声と人気は歴史のなかで卓絶している
蕭何・曹参・房玄齢・杜如晦といった名臣など忠義の点で比べものにならない
諸葛孔明や楠正成クラスにも匹敵する
木戸公の墓に詣で新緑の桜に公を悼む詩を書き付けると
あまりの悲哀にほととぎすが紅い血を吐くほど啼くのが聞こえる
・南面の詩
中井慈眼翁は早くから京都の名勝名刹の保存に尽力し,その努力で大いに風致が増した。その功績は
大きい。ことしの夏,松菊木戸孝允公の三十三回忌に伊藤公が墓に詣で詩を作った。中井翁はその詩を
石に刻んで東山に建て,東山の風致をよりいっそう増して,木戸公と伊藤公の業績をひとびとが敬慕
できるようにしたいと計画した。久邇宮邦彦王もこの計画に賛成し篆額をたまわった。中井翁は碑文を
書いてほしいとわたし(三島毅)に依頼した。
伊藤公は木戸公の三十三回忌から一年もたたないうちに満洲で暗殺された。まことに惜しむべきことである。しかし伊藤公は実に木戸公の遺業を継承しさらに大きなものにした。後世の伊藤公をほめたたえることは,
伊藤公が木戸公をほめたたえることにも勝るものであろう。表面に刻んだ詩は伊藤木戸両公をあわせて
ほめたたえるものにほかならない。この碑を見た東山に遊ぶ者の中から発憤して両公の遺業を継承する
者が出るかもしれない。だからこの碑は東山の風光を増すだけのものではないのである

ここからは東山山頂公園付近にある井上馨碑 (こちらと「姉妹碑」的な意味もある)にも行ってやろうかなと
思っていたのですが、道が三方にあって、向かって右側の尾根道は草ぼうぼうと(藪をかくようにして進む)
なっていてとても歩けず、左側の道はまともだったんだけど、東には行けそうになかったので、樹木に
テープが張ってあった急斜面を東に降りることにしたんですが、こんなことに・・・
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結局はその下にあった道を下って降りることにしました(霊山の裏の谷沿いの道のようだ)

くれぐれも無茶はしないようにしてください 笑(今回は山の装備で行ってました)
もう一回ちゃんと地図を買って、将軍塚まで行って見たいと思います。

また、このようにこの石碑はまともに道のないような(標識の類も一切ない)場所に孤立したように立っていて
一部、有志の方で碑周辺の整備(当然、しっかりとした道も)の運動をされていると言うことです。
今の状態では「幻」のような石碑ですよね。。。

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by enokama | 2014-06-09 23:33 | 私の好きな京都 | Comments(0)