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エノカマの旅の途中

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☆先生の新書。明治時代の富国強兵はアジア侵略につながった?

前に少し触れた☆亮一の新書を読んでみた→こちら

まず玉虫左太夫の部分では「航米日録」を紹介していた内容だけど、まとめのところで幕府の役人や
いわゆる「薩長」は海外貿易を盛んにして、私利私欲に走っているってことで憤ったってことらしい
(だから戊辰戦争で強硬態度を取った。昔の認識での過去記事ですが→こちら
基本、西国諸藩は「海外の脅威」ってものには地理的なものもあって、早くから敏感だったし(特に薩摩)
やがて幕府も海軍を諸藩に奨励すると言う面もあって(横井小楠は幕政改革にあたった時、参勤交代を
緩和したりした)薩摩も貿易で上げた利益に財源にすることによって、海軍を整備していたし、幕臣の
小栗忠順あたりの考えもそうだった(海援隊にもそんな条項があったよね)
東北では庄内も早くから(ロシアの南下もあった)海防には熱心だったし、会津も蝦夷や江戸湾の警備で
危機感はあったはずなんだけど。
そんな事情もあるのに「金儲け」って部分しか書かずに、そのあたりの必要性に触れていないのは
いかがなものだろうか?
本来、それまでの江戸時代なら藩政に専念できたするところを持ち出しで「海防・国防」って対応するんだから
支出が増える分、収入を図るのは当然よね(幕府も参勤交代を緩和したり、大艦の建造も認めたり配慮した)
領民を苦しめたらもともこうもないし・・・
って言うか、そのあたりの流れは海外渡航も果たした人物ならわかると思うんだけどね。
この程度の記述だと、玉虫が「小さい人物」に見えてしまうではないか?
ちゃんとした研究者に改めて調べてほしいもんだな。




あと攘夷論は「おかしい」って感じで書かれていて
平野国臣は「狂人あつかい」だし、久坂玄瑞や真木和泉も変人みたいなんだな。
(他稿で「吉田松陰と高杉晋作」は別扱いで悪口も特になかったけど)
禁門の変は長州が一方的に悪いのに、なぜか会津に民衆憎悪の目が向けられたってされているけど
「攘夷」って態度を鮮明にした方が、民衆の支持が得られたことや、武士階級でも「攘夷」って言う考えが
基本で「開国」は少数派。元治元年以降に直接、海外艦隊と戦って目が覚める者が多かったって流れだけど
その「攘夷論」を現代の目線からだけで見て「異常・無謀」とするのではなくって、なぜ当時はそうだったのか?
ってことを書くのが「歴史家」と名乗るものの役目のはずだけど、ちゃんと分析もできていない。
(まあ、この作家は久留米・福岡の出入りは禁止やな)
あと西郷の書き方もけなしてるんだがどうなんか、よくわからない。
五代才助もあったけど、船を買ったってことだけ。

後半はこれでもかってぐらい「孝明天皇は毒殺」って言う論文等をいっぱい上げてあり
陰謀で作られた明治政府は、第二次大戦でアジアの人たちを苦しめ、悲惨な結果となったと言うことで
締めです。
範囲はペリーのころから第二次大戦あたりまで広いんだけど、なんかよくわからなかった。
「勝者史観」とか、ほんと元治あたりから「薩長は倒幕」って言うのは肝心なところは適当なんだけど
(薩摩も長州も慶応3年終わりまで「藩を潰す覚悟での倒幕」(土佐は「廃幕」って感じ)の意思はなかった)
何が言いたいのか伝わらなかった。

結構、僕らでも「右」(あんまり右左って言いたくないけど)ってことで「歴史修正主義」と言われそうだけど
それらを言う人たちの方が、その「勝者史観」ってのと「明治憲法」の意味あたりをわかっていないと思う。
「富国強兵」ってのは幕末の開明論者の文言にもいくつもあるんだけど・・・
それを通り越して、海外からの脅威からグローバルな流れに至って「植民地時代」に臨んだと言う
世界的な流れも加味しないといけないよね。
ほんと批判するなら、よく調べてから書けって言いたい!
あと批判・批評もちゃんと受けてください。。。
それは出版したからには当然受けるものです。
by enokama | 2014-04-27 10:25 | 歴史全般 | Comments(0)