エノカマの旅の途中

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天誅組と五條2012~その1

少し前になりますが、昨年秋に大阪龍馬会の「五條探訪」に参加させていただいた時の
レポをします (関連記事・五條2008→その1その2その3

風の森
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御所から五條に行く途中にある峠で、天誅組や五條を訪れたこともある吉田松陰が通った道です。
何か独特の風景と空気が流れる場所でもありました



岡八幡神社
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文久3年8月14日。京都を経った中山忠光を首領とした吉村虎太郎ら浪士らは淀川を下り
8月16日に堺に上陸する(→その碑
8月17日に勧心寺の楠公首塚(南朝ゆかりでもある)に詣でた後、各地からの合流者を含め
この八幡社で集結。五條代官所を襲撃することとなる。
写真の切り株は神木だった杉の切り株です!


引き続き、五條市立博物館に行きました。
前回は電車だったので、少しこの場所はアクセスが遠いので行けなかったのです。
天誅組の資料や松倉氏治世時の「新町」の開発から、のちの天領となった様子も展示してありました。

中でも見物は「紀泉境橋の仇討」の挿絵(井沢宣庵宛 乾十郎書状)を見せていただいたことです。
この仇討は神戸の勝海舟海軍塾の面々が絡んでおり
土佐の広井磐之助が棚橋三郎(父の敵で国外追放になっていた)を討った話で
勝海舟名代としての佐藤与之助こと政養(神戸操練所建設の実質上のトップだった)や兜惣助、新宮馬之助
他紀州の立会藩士らが載っていて、なかでも乾十郎は特徴が出ていて、髪がザンギリ(髷を結ってない。
由比正雪をイメージしていたそうな)で目立っておりました。
 
ただ、しきりに職員の方がむっちゃ見てもらいたかったらしく、勧められたのが鉄道模型のジオラマで
(これがかなりのものだった)意外なところで盛り上がっておりました(笑)

長屋門
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五條代官所が襲撃された後に再建された代官所の門が残されています。
内部は天誅組関連の展示がされてあって「天誅組研究」の中心施設となっています。
こちらで御寿司の弁当で食事です。

井沢宣庵
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地元五條の人で旧宅跡とお墓があります。医者でもあって、天誅組には軍医として従軍しました。
その後、京都・六角獄につながれて毒殺されたと言う。

森田節斎
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頼山陽にも学んだ高名な儒者で、あの吉田松陰も五條まで節斎に会いに訪れている。
弟子に乾十郎がいて、梁川星巌や梅田雲浜とも交流があり、各地の勤王志士に影響を与えた。
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Commented by ji5isl at 2013-11-09 23:06 x
見そびれてましたm(_ _)m
五条へ明日朝自宅6時出発、もう遅いので読まずに寝ます・・・
by enokama | 2013-11-05 23:23 | 歴史連載 | Comments(1)