エノカマの旅の途中

enokama.exblog.jp

旅と歴史と競馬のお話をします

ブログトップ

長府~下関2013 真木菊四郎の死

おそくなりましたが、お盆休みに行った長府~下関のレポです。

一番の目的は「長崎丸事件」の検証だったりするのですが(田野浦や前田砲台にも行ってきた)
史料の読み込みもあるので、もう少し後になります。
薩摩のレポも残ってるのが「薩英戦争」なんですが、こちらも改めてです。。。

こちらでも書きましたが、長府博物館に行ってきました。
三吉家のお宝が寄託されることとなったので、貴重な展示物(坂本龍馬・西郷隆盛・中岡慎太郎など)が
常設展の入場料で見ることができました。
慎太郎の手紙も3通あったし、西郷さんと慎蔵関連も、みな展示してあったので大満足でした(嬉)
館長さんにも久しぶりにお話が聞けて、いろいろと確認することもできました。
ありがとうございました!

あと、新博物館の建設工事が始まっていました(2015年10月・完成予定)
まずは発掘調査からのようです。。。
f0010195_11402731.jpg

場所は功山寺の一番下の門前、旧山陽道を少し東に行ったところです。
新館移動時期には休館もあるので、ご確認いただきたいです。




今回、下関で訪れたのは二ヶ所です。
もっと行きたい所もあったんだけど、暑すぎて体が動かなかった(苦笑)

まず真木菊四郎終焉の地であります。
日本銀行下関支店の裏に石碑があります(支店長さんのくわしい文章がありました→こちら
バス停は入江口で、あたりは下関の金融街でビルも林立しているのですが
この日銀は一つ山側の通りで、建物も小さくひっそり建っている感じで少しわかりにくいかも。
寺の石段の上り口に立っている。
f0010195_11554628.jpg

実は中岡慎太郎とも縁のある人物であり、おそらく慎太郎関連の書籍以外では取り上げられること
も少ないかもしれません (中岡慎太郎年表→こちら

禁門の変のあとの元治元年八月、長州へたどり着くことのできた慎太郎は、長州での浪士隊「忠勇隊」の
残ったメンバーらと息つく間もなく、迫りくる四ヶ国艦隊からの守りを命じられ、三田尻から馬関に向かう。
そのメンバーには天王山で亡くなった真木和泉の弟・真木外記、四男・菊四郎兄弟の名が見られる。
(土佐では大利鼎吉や安岡金馬の名が見られる)
しかし、程なくして講和が始まったため、活動なく終わった。
11月となって、忠勇隊の再編成が行われる。その中にも彼らの名前が見られる。
このころ五卿動座の動きがあり、五卿は長府・功山寺に入るが忠勇隊はその警護の任についた
(のち忠勇隊は、こちらも浪士中心の遊撃隊に吸収される形で解消)
諸隊からは反発も大きかった「五卿動座」に力を注ぐ、福岡藩士らの行動が始まっていたが
慎太郎は理解を示し、中でも早川勇と親しくなる。

正月9日に早川の旅宿へ「稲荷町へ女郎を買いに行こう」と慎太郎が訪ねてくる。
普段から遊里へ踏み込む性分ではない人物がなぜかと早川は思ったが
「実は明日、遊撃隊が出発するが、行き掛けの駄賃に君を斬ろうと言うことだ。つまらぬ者に首を
斬られるのは君も残念であろう」と言う話であった。
大坂屋と言う妓楼へ出かけ、ここへも押しかけられてはと、娼妓を連れてさらに別の料理屋に移った。
そこへ真木菊四郎も訪れ「今晩は早川君を守護しよう」と飲み明かして、眠れぬ夜を過ごした。
明け方になって料理屋の戸を盛んに叩くものがいる。菊四郎と慎太郎は刀を抜いて構えたが
その人物は旅宿にいない早川を探していた福岡藩の重役だったと言う。
その重役は五卿に拝謁すべく案内役だった早川を尋ねたのであったが、その危機も知って
代わりに筑紫衛が功山寺へ案内し、向かった。
その日、早川は意を決して斬られる覚悟で亀山の遊撃隊陣営に向かったが、応対した伊藤俊輔が
「これまでのことは間違いであった」と言ったことで難を逃れたと言う。

真木外記(直人)・慎太郎は筑前大宰府へ向けての五卿随従士ともなるが、五卿動座の地ならしとして
福岡藩に赴き、伊丹真一郎や鷹取養巴をたずね、対応を協議している。
その藩の要路は佐幕派が多く「五卿は厄介者扱い」で待遇も悪かったが、薩摩が圧力をかける形で
五卿のまとまった形での大宰府入りとなる。

2月7日、馬関入りした慎太郎は早速、長府藩・原田隼二や真木菊四郎らと会い、8日には白石正一郎宅で
有志の会合に参加している(→こちら
この時から「薩長提携」が本格的に動きだし、慎太郎は京都に入って薩摩とも接触を強める。

2月14日になって、真木菊四郎は暗殺された。殺害犯は薩摩との提携に否定的だった土佐浪士・池内蔵太
(天誅組の生き残りでのちに海援隊)だったと伝えられる。
この動機だと池は、慎太郎・土方らの行動にも疑念を持っていたかもしれない。
同郷であるゆえに、菊四郎に標的が向いたのであろうか?

土佐藩に残る探索書では妓楼に入りびたり、無理やり商人から金子を借りて非義に及ぶと言う行動も
あったとの記録もあるそうだ。
新地の宴会からの帰り、大袈裟に切られ、両足に縄をかけられて海中に捨てられたと言う。享年23歳
墓所は赤間神宮裏の紅石山に白石正一郎と並んで立っている→こちら
f0010195_11523348.jpg

[PR]
by enokama | 2013-09-06 23:41 | 中岡慎太郎関連 | Comments(0)