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エノカマの旅の途中

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「八重の桜」~鳥羽伏見の戦い

(関連記事→その1その2その3
(薩摩藩邸焼き討ちについて→その1その2

のっけから「薩摩の策略・陰謀」の連発であります(苦笑)

やはり、慶喜と外国公使との会談シーンが出てきました。
洋装の礼服姿で「今後も外交は徳川が行う」って言う、自信満々の慶喜もいいですね。
名前は出なかったけど(どう見ても)パークスだろう人が敬意を表しますってのも
実際にあったことですし、このシーンはよかった!




一方、琵琶の演出で薩摩の大久保と西郷。
その慶喜の巻き返しに対して、西郷が「江戸攪乱工作」を指示と・・・ここは定説(今は完全に学会では
否定されてます)通り。
江戸では勝が「挑発に乗るな」とともに「西郷に俺が火を付けてしまった」と後悔もしたりするんですが
(らしくないなとは思う)
やがて「庄内藩士らが薩邸を焼き討ちした」との報告(シーンはなし)

そして、大坂城の慶喜がこの報告を聞き「庄内藩士が(ここのセリフでは「ら」が抜けて庄内単独のように
なっている?)・・・」
これじゃ、庄内が単純に挑発に乗ってしまったように取られてしまうよな。
新徴組屯所への発砲や、あげくは江戸城二の丸放火(ここまでまともに攻めて来たんですよ。伊牟田尚平
の仕業とも言う)があって、薩摩の関与って明白だ(ただ、西郷が12月にさらに挑発行為を強めろとした
証拠はない。逆に「控えろ」との吉井幸輔からの書簡は残っている)
小栗上野介らも承知の上で幕命を受けた時に、庄内藩の私怨と誤解されたくないので、「他藩の参加」を
求めて、この焼き討ち計画は幕府も了承していた。
また、フランスの幕府軍事顧問団からの作戦への助言も受けている。あくまで(旧)幕府「江戸方」の
決断としての行動であり、今日の放送だったら単純に堪忍袋の緒が切れたと思われかねない。


あと、今まで「薩長土芸」あたりの12月の率兵上洛の状況は書きましたが
「徳川慶喜公伝」に旧幕側の数字が出ていたので書きます。

十二月九日変革の報江戸に達するや、留守老中の命(板倉あたりか)を以て、とりあへず伝習砲兵二座・
奇兵三小隊・歩兵二大隊を上京せしめ、在府の会藩士も亦書生隊を組織し、江戸定詰めの大砲隊と共に
上坂せしむ(この会津の例は今回のシーンでもありました)
(こういった時に必ず史料にはなぜか?勝海舟の反対意見が載ってるのが当たり前のようになってるけど)
軍艦奉行・勝安房守は之を不可となし「今徒に兵を送らば却て紛乱を増し、遂には禍を前将軍に嫁し
奉らんを恐るる」と意見するも受け入れられなかった。
薩長芸の出兵に対し、旧幕府側も兵を集結させつつあったことがわかり、きっかけがあればすぐに
動いてしまう状況でもあった。
慶喜の真意はわからないが「しまった」と言うよりも、このように「勝算」ってのもあったはずで
大政奉還後に無用な緊張を取り除きたいのだったら、会桑も国元へ返し(尾張・慶勝は容保に再三
帰国を促していた)勝の言うように紛乱の種を取るってこともできたはずなんでしょうけど。
(まあ実際は背景の兵力があってこそ、一連の交渉も進められることもあるだろう)
譜代諸藩・会桑勢を含めた幕軍は15000と 薩長土芸因で6000~7000(芸州は戦闘には参加せず)と
数では有利だし、それなりの兵器もそろっていた。。。

薩邸焼き討ちの決断をした小栗にしても、戦いに持って行って「有利なはず」の戦力で決めてしまいたいとの
気持ちがあったはずで、普通に勝っていたら、こんなのちの評価にはならなかっただろう。
慶応3年12月の大久保や岩倉の行動は「万事において強引で世論も得られていなかった」のは事実で
この情勢って言うのを「江戸方」がわかっていなかったこともあるのか?
でも、戦にさえ勝ってしまえば、幕末の一連の流れを見ててもコロッと変わるわけで
(「禁門の変」で敗れた長州が復権するのは異例中の異例だろうけど)
経過がまずくっても、結果オーライってのも結構多いですからね。
いろいろと偶発的な要素もあって、力通りの結果ではなく、不利なはずの新政府側が結果的に勝利を
収めたばっかりに「錦の御旗」の件も含めて「陰謀」「策略」など認めたくないって言う気持ちが
今の歴史観になってしまっているんじゃないかな。

あとシーン的にはすでに乾退助は出てるんだから、西郷さんとの盟約に沿って
容堂公の命に反して、土佐軍が薩長側について戦闘に加わったってのも入れた方がよかったのでは
(ただし、この時点で退助は京にはいないこともあるけど)
まあ、八重さんのシーンは一般の視聴者の方からしたら、増やしてほしいんでしょうけどね。
ただの「歴オタ」の願望です・・・
Commented by マロン at 2013-05-23 05:14 x
【薩摩藩邸焼討事件】

①御用盗の正体
http://m.ameba.jp/m/blogArticle.do?unm=itaru-ohyama&articleId=11509249036&frm_src=article_articleList&themeFlg=1

②薩摩藩邸焼討事件・町奉行の手記
http://m.ameba.jp/m/blogArticle.do?unm=itaru-ohyama&articleId=11512380566&frm_src=article_articleList
Commented by マロン at 2013-05-23 05:21 x
③徳川慶喜の談話
慶喜は晩年、幕末政局に関する多くの談話を残している。
其の中には薩摩藩邸焼き討ちに関する談話もある。
大政奉還を決断した慶喜は【政治決着路線】を進みたかったので当然ながら【武力行使は是認できない所】だ。其れを抑えきれなかった為に【戊辰戦争】が勃発した。
其の事は慶喜も認識して居ただろうし、だからこそ江戸在府の幕臣らが戦争を引き起こそうとして【薩邸焼討】という暴挙に及んだのだと語っている。
Commented by マロン at 2013-05-23 05:24 x
【薩摩藩邸焼討事件】は幕府側が薩摩藩の謀略に載せられた結果だというのが通説だが【旗本が御用盗の元祖】であったり【幕府陸軍の歩兵】が新吉原で発砲騒ぎを起こしたり、御用盗を取り締まる【新徴組】が逆に強盗をしでかしたりと、江戸に於ける悪徒の暗躍は全てが薩摩の陰謀とは言い難い。
薩摩藩が陰謀を企てて居たにせよ、幕臣達が便乗する様な事態に至っては当然ながら【制御不能の事態】に陥って居たと言わざるをえない。
そうした実態が慶喜に伝わって居たかどうかは疑問だが、其れを慶喜が知って居たなら身内に裏切られた思いがしただろう。
Commented by マロン at 2013-05-23 05:35 x
【参照】

鳥羽伏見の戦いに旧幕府側は敗れた。
しかし、其れもまた偶然が生んだ結果でしかない。殆ど命中を期待出来無い最初の砲撃で、薩摩藩の砲弾は旧幕府軍の弾薬車に命中したのである。この劇的な一発が旧幕府軍を混乱させ、緒戦の劣勢を強いた。もし戦いを司る神がいるならば彼が振ったサイコロは必ずやインチキであったに違いない。其れ程の奇跡的な出来事であり、軍事史の面から見れば新政府軍の勝利は偶然という他ない。
Commented by マロン at 2013-05-23 16:04 x
【参照】
慶応三年一二月一九日

尾張前大納言は会桑二藩に帰国せしむべきの命に答えて曰く
徳川内府旗下の者共鎮撫方会桑二藩厳命を蒙り、早々帰国取計ふべき旨、更に御沙汰御座候趣謹で奉拝承候
右は兼て御沙汰の趣御座候に付、精々斡旋仕り候処、何分遅延相成候より聖慮を悩し奉り、再度の命を蒙り候段、恐縮の至に奉存候間、猶更精々盡力早々帰国為仕候様可仕候、依之御請奉申上候、慶勝


七年史
(日本史籍協会版9Ⅲ542p)
Commented by マロン at 2013-05-23 18:56 x
今回何だか消化不良でした。
視聴率も下がってるし…。
会津目線なのに何故か薩摩の方がカッコいい(笑)。

慶喜が兵を率いて大阪城に下ったのも経済的軍事的に重要な拠点であった大阪を押さえる事で京都の新政府にプレッシャーを掛ける事が出来るからなのに外交の巻き返しのみ描いてもねぇ。
現に辞官納地等は骨抜きになって勝利目前だったのに。
せめてナレーションでも入れて欲しかった。

幕府軍の装備が薩長軍より劣ってるって!?

薩摩琵琶の演出は効果的だったけど…。

どうも今回はこのドラマの歴史考証を担当している山村竜也氏の影響が強く感じられるんですよネ。
Commented by enokama at 2013-05-23 19:26
いろいろと参照記事ありがとうございます!

今回は幕末で唯一ドラマになりうる庄内藩の出来事で楽しみにしてたんですが、やはり中途半端に終わってしまいました・・・
確かに薩摩や岩倉の方がキャラが立っていて、会津藩士の出演者は多いけど、個性がないって言うか、雑な描き方のように思います。

山村竜也より、脚本の方のほうがよく知っておられるし、勉強してるように見えますけどね。
山村竜也の方が慶喜とか大政奉還については知らないと思うんで「考証」の意味があるのだろうかとも思ってしまいます・・・
Commented by マロン at 2013-05-28 17:46 x
【鳥羽・伏見での土佐藩】
http://m.ameba.jp/m/blogArticle.do?unm=itaru-ohyama&articleId=11009542631&frm_src=article_articleList&themeFlg=1

【時代考証】
http://mblog.excite.co.jp/user/rekijyop/entry/detail/?id=20523774&_s=bb0d5374f5ab67f68b4f0222d1c7cd4b
『八重の桜』の時代考証は大石学東京学芸大学教授と山村竜也氏。
大石教授は日本考証学会会長をなさっています。
by enokama | 2013-05-22 23:13 | ドラマ感想 | Comments(8)