エノカマの旅の途中

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慶応3年正月~孝明天皇の崩御を大宰府の五卿に伝えた中岡慎太郎

中岡慎太郎年表→こちら

まだ先週の大河が見られていないんですが
なぜか「松平春嶽」のキーワードで、アクセスがむっちゃ多いのであります。。。
また何かやらしたんだろうけど、アクセスは多くってもコメントないし
「あんな卑怯な人」って印象で来た人には、物足らないようでどうもすいません・・・

まあ、僕はあまのじゃくな者なので、嫌われ者は弁護したくなるし
人気のある人物は否定にかかる性分ですので、到底理解してくれとは言えませんが
嘘な歴史を並べて、上辺だけの印象だけで巷に溢れるような書物や作家がいやなんです。
これでも古川薫先生みたいに(あえて司馬御大とは言わない)実証に基づいて近づけたような
物書きになるのが夢だったりするわけですが、絶対に売れないのは確実だな(苦笑)

大河でも「孝明天皇崩御」のころのようですが
「毒殺説」ってのも根強いようですね。。。
一番、主張してた佐々木克先生は「前言を撤回されました」ので、今は学説ではどうなってるんでしょうか。
まあ、本屋に並ぶようなものは決まった人物なんで、そうなってしまうわけなんですけど・・・




(行々筆記1)
第二次征長の長州側の勝利を見届けた後
慶応2年9月に慎太郎は京都に入り、将軍・家茂死去後の情勢視察をしている。
薩摩屋敷の伊地知正治のもとに寄寓し、このころは小松・吉井・西郷と薩人との交流が主となっていて
このころ上洛し、幕府軍敗北後の藩の行く末を模索する土佐の小笠原唯八と福岡藤次に薩摩への
接近を勧め、両人は小松帯刀との対談に臨んでいる。
十二月十四日には西郷の寓居にて「赤穂義士を読む例会」(薩藩では毎年恒例となっていた)に参加。
同会は西郷信吾(従道)、黒田了介、村田新八、山中敬三ら。  

そんな年の瀬、またもや激震が走る。
二十五日夜の孝明天皇崩御である。
二十九日。西郷・小松に会った後、長藩・井原主計と下坂、元旦に天保山から船便で発す。
五日には馬関に入り、療養中の谷氏(高杉晋作)の閉居を訪ふ。
朝鮮仏戦争のことをを談じる。
旅亭に帰り、中島作太郎、田中顕助らと小酌す。
その夜、坂本氏(龍馬)と会い、鶏鳴に至るまで談じる。
・原市之進の如き、不載天之讐、何ぞ談話を交ゆべき
・摂海のこと(神戸開港)立言の順序あり、一言一句も容易すべからず、皇国の大事に至る
・下関船通行事 など

九日、太宰府着。
此夕五卿に掲し、上国の御事を申上、五卿慟哭無止、余亦為泣下、仰ぎ見ること不能
余事を論ずるに不及して退く。
十日 三条公に謁す。公余に謂て玉はく、上国の事実に悲痛に不堪、然に天下の危急救はざるべからず
聖明宿昔の叡慮遂ざるべからず。皇太子尚春秋若く、明徳を輔養奉ざるべからず
今月若し此の一を失せば、天下の事如何、汝夫れもを以て勤めよや。孤臣何ぞ此の命を豪るに当たんや・・・

 
孝明天皇崩御の一報を聞いた五卿の慟哭ぶりが伝えられる文面である。
この後、慎太郎最大の功績とも言える「三条・岩倉」の和解と言う出来事があるが
おそらく巷で当時から「岩倉主導の毒殺説」と言う風聞はあっただろうと思う。
その五卿らの悲しみを知る慎太郎からして、その風聞が引っかかるのは当然と言え
明らかな「シロ」と確証できない限り、その行動には移れるわけがないと思うのだが・・・

この後、慎太郎は読書、講義、湯治としばらく穏やかな日々を大宰府で過ごすこととなる。
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by enokama | 2013-04-25 23:55 | 中岡慎太郎関連 | Comments(0)