エノカマの旅の途中

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4・25

土曜日は仕事の後、旧友たちと集まって宝塚・伊丹あたりで飲み歩いていた。
某工業高校を出て最初に就職した時の寮の仲間。横浜から来てたT君や名古屋のO君もきていて(彼らは1年ほど寮にいて地元に戻って行ったが)あれやこれやと・・・
あのころはほんとバブルのころで休みもほんと土曜だけって感じだったけど、まだ給料も安くって、ほんとオンボロ車で海や山に行ったり、夜通し遊んだり・・・
その後は「失われた10年」ってことで大半は僕を含めて転職して行ったが、今はほんと景気が持ち直しているようで皆忙しくがんばっているようだ。
だいたい1,2年に一度集まっている。たまにハメを外すのをいいもんだ!

夜は4次会(!)まで行って、某健康ランドで泊まり。ゆっくり寝て朝飯食べて解散したが、乗った電車の沿線の雰囲気が違う。4月23日、あの例の脱線事故から約1年経ったのだ・・・
僕は以前は電車で通勤していたが、今の職場がちょっと駅から離れてしまったんで今は月5、6回ほど乗っている。また一応僕の住んでるところは梅田から60分(今は5分以上延びたが・・・)ってことで意外にも通勤圏にも入ってるんだけど、ほんと不通になってた時(宝塚で阪急に乗り換え)は大変だったそうだ。
あれからダイヤは遺族らの要望ってこと等でスピードダウン(初めて乗る人は事故現場でこれ見よがしに、スピードを落とすんでよくわかると思います) 以前はほんと余裕のないダイヤだったのは事実で、乗降を急かすアナウンス(定時運転に協力をってことで)が結構あって、その上に阪急から客を取ろうと快速の停車駅を所要時間を落とさずに追加したり、尼崎での東西線と東海道線のタイトな接続(以前はほんと同時到発着って感じで。今は東西線に入る電車は5分ぐらい余裕取っているようだ)伏線は今考えるといろいろあったと思う。

でも事故の以前の数々のスピードアップで恩恵はだいぶ受けたんで、今のスピードダウンやATSの兼ね合いだったと思うが、旧型のボロイ電車が復活してたり(スピード出さなくていいこともあるのか?)報道で言われてた過密ってのも相変わらず、阪急との平行区間だけで、それ以北は快速・日中30分ごとで4両という現実(反面、宝塚までは7両で空いてる電車が15分ごと)
いろいろJRも安全対策で考えてるとは思うけど、新聞に載ってる遺族は「まだまだ不十分」ってコメントは究極的には路線廃止するぐらいにならないと消えないんだろう。
あと事故原因はある程度はっきりしないと(これも遺族が納得しない理由か)事故を起こした207系はJRの少し狭い線路(1067ミリ)に対して、車体幅がかなり広いんで転覆しやすい形状だってことはわかるし、多分初期の車両かもしれないけど振動がかなりする車両もあるし。

今は車社会で鉄道会社もなかなかしんどいと思うし、儲かる要素も少なくなってるかと思うんで効率化を進めないときついだろう。でも今はガソリンが高騰してるし、高齢化も進んでるし安全なしっかりした大量輸送機関はやはり不可欠なんで、信頼を回復する対策をしっかりとってもらいたい。
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by enokama | 2006-04-23 22:06 | 総合 | Comments(0)