大阪城西側から谷町~松屋町の史跡
5月25日に参加した大阪龍馬会の史跡探訪と適塾記念会でもらった資料で
追記・訂正しておりますので、改めて更新しています。
大阪商工会議所(赤印)
「大阪の父」 五代友厚の銅像はこちらにもある。
隣りは五代の盟友でもあった 土居通夫で宇和島藩出身の人物。
こちらは西町奉行所跡の碑(東町奉行所→こちら)
幕末、幕府に招聘されたオランダ人講師・ハラタマは長崎でまず教鞭を取り、開成所での化学教授として江戸へ向かうが、幕府瓦解となってしまう。
そのころ大阪府知事となった後藤象二郎は「大阪舎密局」の構想を以て、その強い要望でハラタマらの講師陣の招聘が実現し、この付近で開校し住居も構えた。
明治五年まであって、その後の京都大学の前身となる。
大阪英語学校跡(緑印)
大村益次郎殉難報国碑(青印)
戦争間近でもあって、建立関係者にもそれらしい名前が並ぶ!
中央区徳井町にあった大村が借りた部屋「漏月庵」昭和十八年にはその跡地の碑も立てられたが、現在は失われている。
また、現在の大阪医療センターは司馬遼太郎氏の亡くなった場所でもあって
「花神」の主人公・大村益次郎と同じ地でなくなったと言う因果があったりします。