エノカマの旅の途中

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霊山の墓前祭と11月17日・中岡慎太郎の命日 2012

ブログの方は久しぶりに更新となります。
平日は残業してるし、休日は歴史行事か村の用事以外は、行楽シーズンで添乗がびっちり
入ってるんで、ゆっくり出来る時間がないんですよね。。。
(結局、今年の京都のG1競馬は一回も行けなかった・・・)
 
そんなこんなですが、今年も近江屋事件と慎太郎の命日となってまいりました。
で11月14日の当ブログのアクセスですが、またボンと上がってきまして
なぜかなと解析を見てたら、また加治がふざけたことをBSの番組でぬかしたらしい(苦笑)
テレビ欄にあったのは知ってたけど、内容はわかりきってるんでアホらしいと見なかった。
でも、また騙され人が増えただろうと思うと、ちゃんと見て批評した方がよかったかもしれない・・・
加治が1回出るごとに本が100冊ぐらいは売れるんだろうな。
どんなコネを持っているのだろう・・・

今年も15日は有休を取って霊山に行ってきました。
メインはどっちかと言うと「佐藤政養」の講演だったりするんですけどね(また別記事にします)
紅葉は、だいぶいい感じになってました。



11時半ごろに着いて、顔なじみの方に挨拶して、講演の受付を済まして
先に個人的な墓参に行ったんですが、15分ぐらい待ちが出来てました(12時20分ごろで)
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北川村の方は、先月も長府行があったりしたんで少し少な目のようでしたが(柚子のシーズンで忙しい)
例年通りテントも出て、恒例の「しゃも鍋」の鶏肉を提供されています。
(詳しくは→北川村観光協会さんのブログ
顕彰会の方にお会いして、長府での忘れ物も解決したんでホットしました(笑)

墓前祭は15時半から土佐招魂社→3人のお墓へ。
終日、雨だったんですけど、この時間はうまい具合に雨は止んでくれました。
最後に高知県知事と京都県人会会長のあいさつがありました。
県知事は慎太郎の事も入れていいスピーチでした。
会長さんはまあ例年通りだけど、個人的に研究を進めていると一般的な龍馬観ってのと段々
違ってきたりしてるんで、どうしても年々違和感を感じるんですよね。
慎太郎はけっして龍馬の協力者で談じることはできないし(それぞれの方針は尊重していたはず)
大政奉還は後藤の頑張りと慶喜もしくは側近の永井尚志の力も大きかったんですし・・・
まああくまで「龍馬祭」なんで、僕がどうのこうの言うことないですけど。

帰りはこの日はむっちゃ寒かったので「鍋食べたいな」と
先斗町にあった「ゆず鍋」のお店で、鍋を食べてきました。
温まったし、結構ボリュームのあったお手頃価格でいいお店でした。
(お聞きしたら、柚子は時期によって生産地はいろいろのようですが)
6時ぐらいに行ったんで、すんなり入れたんだけど、7時過ぎには一杯になって
週末の予約の電話も何度も鳴ってて、みんな断ってたようなんで、結構な人気店だったんですね。
また、帰り際に店に入ってきた方に声をかけられました(まだ慎太郎のハッピを着てたもんで)
北川村のテントスタッフの方で、予約してこられたようです。考えることは一緒なんだなと(笑)


17日は慎太郎の命日でした(こちらの様子も上記のブログで紹介されています)
また、中岡慎太郎館では特別展が始まり、24日(土)には大学の先生の特別講演が行われます
(くわしくは→HP

僕は最近も議論になったりしたけど「れば」「たら」ってのはあまり入れずに
実際にあった歴史を素直に調べるのが一番大事かなと、なおさら思っています。
それは現代の戦争を知らない世代(「平和憲法」と呼ばれる下で)の史観ではなくって
当時の当たり前の外交交渉(兵力を伴うのは当たり前)や世界史ってのも尊重した上での
検証が必要なんだと思います。
ただいつも言いますが、生きてほしかったって人物が僕には二人いて
それが橋本左内と中岡慎太郎なんですね。
この二人に関してだけは、これからも「たら」「れば」の話を何度もするかもしれませんので
ご了承ください。

改めて、両雄を偲び
思いを馳せたいと思います!
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Commented by ゆら at 2012-12-14 15:15 x
「生きていれば活躍したはず」という意味でいうなら、左内にもっと生きて欲しかったとは思わないです。

左内ががんばったところで、越前藩の動きが大きく変わることはありませんから、「活躍する」とすれば藩外ということになります。
藩外で一番可能性の高そうなのは、一橋家への出向。そこでうっかり活躍したら暗殺されるかも…と考えると、活躍しなくていいよっ、と思ってしまうのです。

それよりも、「左内は死ぬとき春嶽から賜った新衣を着てた」というのが本当で、その経緯が「左内の手紙に対する返事」だったならいいなぁ、と思ってます。
下賜されたものを身に着けて刑に臨むなんて普通はないでしょう?(笑)
Commented by enokama at 2012-12-15 23:42
僕の見方は「適塾サイド」からのことで、いつも「惜しいな」と思ってしまうのです。
適塾生は各地(特に西国)の藩医の子弟や蘭学の志のある者が
内憂外患の世で「人材が必要」と感じた諸藩からやってきました。
その出身者は地元の藩でもちろん医学を始め、軍事にも長けた人材となって
はては幕臣となった大鳥や薩摩の海軍局、長州の大村や所郁太郎と人材は引っ張りだことなり
(だから戊辰戦争で敵味方に分かれたりする)明治にも大きな貢献をしました。
その中でですね。刑死したってほとんどいないんですよ
(知っている限りでは土佐で一人いるだけ)
だから彼らの活躍を見るにつけ、左内の死は「惜しい」と思ってしまうのです
by enokama | 2012-11-18 23:04 | 中岡慎太郎関連 | Comments(2)