長府博物館・秋の特別展~長府藩士と龍馬・慎太郎のキセキを見てきました
市場の中には、一般の人向けにも寿司や揚げ物を売っている店があるのでチョイスします。
そして海を見ながら食べます(フクのから揚げがうまい)
海峡を行き交う船を見ながら。。。
関門橋もギリギリに見える大きな貨物船!
今まで仕事では何度も来たけど、客としては初めて!
それにしても、これだけ楽しめるもんなんだと改めて感じた次第でもあります。
この後、亀山八幡宮から(前回の記事→その1・その2)
看板が間違ってるぞ(元周は長州藩主じゃなくって、長府藩主だって・・・)
続いてかつての花街・稲荷町に近い交差点での写真。
幕末維新村と言う施設ができていて、展示も行われています。
昔の面影をこのあたりでわずかに伝える稲荷神社(空襲ですっかり焼けてしまったそう)
李鴻章道を通って春帆楼へ
赤間神宮からバスで城下町長府へ。
11時ごろに北川村から慎太郎顕彰会の方々が来られるんで、ご一緒させていただけたらと連絡を
取っていたんです。
長府に着いて、まだ長府観光会館にはバスが止まっていなかったので
忌宮神社のあたりへ散策してから向かおうとすると、集童館(別名「長府の松下村塾」とも呼ばれる)の
前あたりに高知のバスが・・・・
まさかこちらに止まっていたとは思わず(食事は「宮の内茶寮」でした)急いで長府博物館へ。
ちょうど着かれた直後だったようで、学芸員さんの案内が始まっていました。
さっそく新政府綱領八策の二つ並びの展示です。細かいところの字体の比較ってのも面白いですが
国会図書館の方は(うれしい意味で)意外な形での展示でびっくりしました!
もちろん三吉慎蔵あての龍馬・慎太郎の手紙も出ておりまして、慎太郎の三通(→こちら)も公開されておりました(飲みすぎちゃってごめんねの手紙、洋ワラジを試してねっての手紙とこの二通は封筒付き)
もう一通、長府は薩摩と共に行動すべきだという手紙は、思ったより長文で長く伸ばした展示になっていました。
元治2年2月2日の吉井幸輔の西郷・蓑田伝兵衛宛ての書簡では、事細かな当時の長州情勢(諸隊の動き)や
五卿動座の動向が語られていていて興味深い(寺石こと慎太郎からの情報とその行動も伝えている)
福岡からの建部武彦書簡は、いわゆる「第一次征長」における長州での解兵条件を書いたもの。
また萩毛利家から下賜とされる脇差と、加藤司書の短冊。森安平の日記は長府を窓口にし土方・中岡らの
賛同を得て薩長融和に乗り出したと言う記録。
非業の死を遂げた泉十郎宛の三条実美からの下賜和歌。
慎太郎書状木戸宛(宮内庁書陵部)馬関開港問題に対して、井上・伊藤に詰問したもの(→こちら)
三吉家にある西郷関係のお宝も出されていました。
違ったところでは、文久3年12月に奇兵隊士らの攻撃により沈没した薩摩船・長崎丸船板。
高杉が泉十郎の処刑の後に、続いて大庭伝七に累が及ばぬよう申し入れたことを実兄・白石正一郎に
伝えた書簡。
慎太郎の時勢論は高知県立図書館所蔵で、書簡のようになっているものでした。
食事は長府博物館友の会の副会長と長府博物館館長の古城さんも交えて
甲浦からの参加の方もおられて、江藤新平の逃亡劇の話や(前の東洋町の町長が江藤好きで顕彰に
積極的だったそう)江藤を泊めた家と言う北川村の参加者の方、石田英吉の縁者の方(英吉の旧姓の
伊吹さん。医家でもあって緒方門下生(洪庵先生の義理の息子の塾)でもあった)
など意外な興味深い話もお聞きすることが出来ました。
これから三田尻に向かわれます
もう一度、見たりない感もあって館に戻ります
改めて思ったのは今回、薩摩関係の史料が多く出されていましたが(黎明館所蔵の物が多い)
長府と萩の関係についてのしっかりとした薩摩藩士の認識や、直接的な長府藩士らとの結びつきってのが
太い物であったということを感じました。
最初40分+あと45分ほどいたんですが、まだまだじっくり見ていたいっていうぐらいの充実した展示でした。
(これだけいてても、龍馬関連はあまり見ていないような・・・)
これだけの展示が揃うのも、今後もそうないことだと思うので展示図録はしっかり買っておきましたし
解説や読み下し文もしっかり説明されているので、改めて理解したいと思います。
解説いただいた古城さん始め博物館のスタッフのみなさん、慎太郎顕彰会のみなさんに
改めて、お礼申し上げたいと思います!
功山寺・五卿の間にも行きました
青い紅葉もきれい
展示の最終週ぐらいにでも、もう一度来られたらいいな・・・
このあとは湯田に向かうので、3時前に下関をあとにしました。。。