近江屋事件の検証~「幕末維新史の定説を斬る」(中村彰彦)を斬る
これだけ多種多様な本がいっぱいあったら、もう麻痺してしまって何を信用していいのか
冷静な判断の出来ない人も多いのと違う?
僕もなんかいやになって、調べるのも鬱陶しいし・・・
まあ今まで言ってきたように、結論としてはわかりきったことですんで
自分としては「俗説を斬る」ってスタンスで(特に西郷黒幕って言うのを)この記事を書いてますんで
よろしくお願いします。。。
次は有名な中村彰彦氏の説で、歌会がどうのこうのってやつ。
きっかけはわかったけど「どこがどう、つながってるの?」って肝心なことが抜けてるやん。
本人も確信犯らしく、うまく逃げ道を作ってるのもワロタ。
一つの推理ゲームにすぎないね。こんな内容で出させてくれる講談社もなんなんだ・・・
まずは今井信郎からで「西郷さんが寛大な処分」にしたってこと。
たぶん、この事を発見した人はこんな形で、いっぱい流布されるとは夢にも思ってなかったやろね・・・
(榊原の本にも当然くどいくらい書いてある)
西郷さんのこの手の話って(今井の恩赦は大勢いた中の一人にすぎない)なんぼでもあるんで
たまたまにすぎないと思うけど、それが自分(西郷)の疑いに向けられるとは
こちらも夢に思わなかったに違いない!
それと真相の究明がなされなかったのは、脳をやられた中岡の記憶が変質していたのにもかかわらず
谷干城が鵜呑みにしてしまったそうだからで(妄想ですか?)
何十年後にも谷が講演したり、今井が新聞社に語ったりするわけだけど
その時点で、前に言ってたこと違ってたりするから(無理もないけど)わからないんだと。
きっかけは、京都の「維新を語る会」石田孝喜氏と中村氏が知り合いになって
「誰が龍馬の潜伏先を只三郎に告げたのか」って聞いたところ
いくつかもらった資料で見廻組・渡辺篤の回想録を読むと
佐々木只三郎と薩摩の八田知紀が歌会で知り合いだったことがわかった。
その八田は高崎左太郎(正風)の師でもあり、かつての八一八政変のこともあるし
八田か高崎→只三郎→実兄の手代木→松平容保→見廻出動命令→龍馬暗殺 と至ったと考えられる。
中村氏は「容保指令」ってことは言ってもOKなんやね。初めて知った・・・
でも八田って人は70過ぎのご老人だったらしいし、そんな面倒くさいことに関わらずにのんびり暮らしたいのと違う?
やはり、その動機は「大政奉還」を実現した龍馬が邪魔になったからと言う。
(それと盟主を慶喜にしたことも気に障った)
その薩摩が「大政奉還」に応じたのは小松が、西郷・大久保らの暴力革命(中村氏は普通にこう称す)とは
違い龍馬の考えに近かったからだ(原口泉「龍馬を超えた男 小松帯刀)←わざわざ引用引いて、逃げてるのね。
その代表として、中岡慎太郎の本山只一郎宛て書簡にある「しょせんは書生論」
木戸孝允の発言で「大政奉還は砲撃芝居」を取り上げ、すなわち暴力革命の一里塚に過ぎない。
大政奉還と言う龍馬のアイデアは「暴力革命論者」からは、いずれも白眼視されていたこと。
そして大政奉還に合わせて「討幕の密勅」の降下を急いだこと。
並行して相楽らを江戸へ送ったこと←これは九月の話
龍馬が薩長両藩から見れば、すっかり浮き上がった存在になっていた・・・からだそうです。
また西郷は「船中八策」のころから、龍馬の殺意を抱いていたそうです(あほらし・・・)
まあ研究者の方からだと「とんでもない」って言う内容だけど、この毎月のように著書が書店に並ぶ作家の
方々は似たり寄ったりの内容だから(ちゃんと調べた研究書はそんなに頻繁に出版できない)
同じように進化しないし、手に入れるのも安価なそのレベルになってしまうし
ジュンク堂の専門書レベルまでは、なかなか行けないものなんだよね。
この内容で定説化してもらった方が、この作家たちにも都合がいいんでしょうし。
あと半藤一利氏が、根拠のないことと断った上で「大久保が直接指令の黒幕」ってことも言ってるらしく
その検証もされている。14日着坂→15日入京で見廻組に指示するってのは「忙しすぎるやろ」ってことで
やはり西郷しかいないそうです・・・
でもほんと肝心なことで、そんな回りくどいことしてまで指令を出させることができるものなのか?
高崎と西郷・大久保ってこのころはむしろ対立関係に近いようだし、その高崎も龍馬暗殺に同意させる
理由って何(元来、会津に同調的なんでしょう?)
一番わからないのが、見廻組が薩摩の指示を受け付けるって ハァ?
(付表)
11月14日 西郷らが龍馬を消すように密命を受けていた八田か高崎が佐々木に伝える
↓
暗殺
↓
西郷は東征途中に暗殺の真相を海江田信義に伝える
↓
海江田が不憫に思い、渡辺篤の赦免につとめる(就職の世話をする)
↓
今井は西南戦争に従軍する巡査となって、薩軍に寝返って戦いに加わるつもりだったが
薩軍の崩壊が早く、加わることができなかった。
最後に
ドイツの数学者ヒルベルト以降の合理主義は、ある仮説によってすべての真実を矛盾なく
説明できれば、その仮説は定説として認知されるべき と教えている。
だそうです。。。
まあ確信犯ですな。言ったもん勝ちってことで。
「龍馬暗殺」は永遠に謎らしいですから、みなさん知恵を絞って推理を働かしてくださいね!
あと、頼むから本当の幕末維新・最大の謎「広沢真臣暗殺」誰か解明してください。。。
当方、この間、次の作品を手掛けていて幕末には手を抜いて、
別の作品をやっており、やっと、10月に次の作品が出版の運びになりました。
幕末は、来年にと、別のジャンルで今年はと。
近江屋事件ですが、
*中岡慎太郎の死は、龍馬の巻き添えの死かという
疑問が、まずは私の作品の一点です。客観的に書いた。
当時では、土佐藩に取り、中岡と龍馬の立場は同等に近い。
当時の世間では陸援隊も海援隊も余り区別されていないで龍馬陸援体の一部とも思われてもいた。
幕末、土佐藩では保守派の敵は、中岡と板垣の陸援体であるのは確かです。海援隊もありますが、比重は板垣と中岡の連合体です。中岡の巻き添え説に、エノカマさんが納得されていれば、
「龍馬史」も受け入れても良いとは思いますが。
龍馬の開放的な人柄が、暗殺された要因として少しはあるでしょうが、幕末当時の土佐藩が近江屋事件の鍵ではないかと。
正直、議論疲れしている状態でして・・・
この本文に書いた中村氏の説ですが、FBで某先生とこのことでチャット状態になったんですが
「西郷大久保と違って、高崎は親土佐派(大政奉還に賛成)のはずなのに本文に入ってないのはなぜ」ってことは、中村氏自身が「知らない」のか自説に都合の悪いことは無視ってことかってレベルであって
世間の「俗論」って言うか、あまりの出版物のレベルの低さに
バカバカしくなってきているんです。
(この記事も前の記事も感情を押し殺して、感想を書いたつもりですが)
「龍馬史」も受け入れても良いとは思いますが。
別に慎太郎のことは取り上げてないし、研究者なら普通の考えだし、別に受け入れる受け入れないの問題ではないです。
僕も前は研究者の方に「慎太郎は巻き添えではない」ってしつこく言ってしまったことがあるんですが(まあ失礼なことですが)
そのことは研究の対象とはならないのです。
まあ、一点突っ込むのなら「なぜ慎太郎も殺されてるのに、伝承・裁判記録等が龍馬だけになってしまってるのか」ってとこからなら
余地はあるんではと思っています。
あと一回、加治の批判を書いたら、当分この話には触れたくありません・・・
残暑がまだ、厳しいです。お身体を大切に。
暴力でもなく中途半端に幕府権力があると世の中が変わったと思われないから、戦いを選んだだけですし・・・
龍馬も最終的には武力使うのもやむ無しと言ってますね
龍馬の平和と龍馬を利用して薩長叩く輩の平和は何もかもが違いますね