福井幕末史跡~2011訪問
福井市街地の南・足羽川を渡る橋は、半石半木の奇橋で古くから知られた北国街道上の九十九橋
(柴田勝家によってその形状で架けられたと言う)が有名ですが
幕末藩政改革での産業振興策の一環として、その東に新たに架けられたのが幸橋(さいわいばし)でした。
そして明治以降は電車の通る道ともなって、メインルートとなっていったのです。
長らくこの橋は架け替え工事で仮橋になっていたのですが
昨年11月に訪れた時には工事が終了し、電車も元のように道路の中央を走るようになっていました
架け替え中はなかったのですが(一時的に撤去されていた?)
この幸橋を架ける中心となった由利公正(三岡八郎)宅址の石碑です(オレンジ印)
(当該地はその後の河川工事によって失われている)
師弟関係にあった横井小楠居宅は足羽川の向かい側にありましたが(赤印)
懐古録では、その行き来には小舟を使っていたそうです
このあたりには慶応3年に藩の海外留学生第一号となった日下部太郎とその友人・グリフィスの銅像もあります
対岸の毛矢町を望む
異人館跡
残念ながら日下部太郎は、明治3年に25歳の若さで異国の地で亡くなってしまうのですが
その渡米時、親交のあったグリフィスは翌年福井に招かれ、この地に約1年滞在しました。
(福井市立郷土歴史博物館に展示があります)
藩の招きで藩校で教鞭を取っていましたが、ほどなく廃藩置県となってしまい
その後は東京に移って、引き続き数年間、日本で教育者として過ごしました。
福井中央公園の由利公正像
由利とは対立関係でしたが、近くの佐佳枝社前にある中根雪江顕彰碑