エノカマの旅の途中

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佐賀城下めぐり~万部島と佐賀城本丸歴史館

続いて万部島(まんぶじま)に行きます!

このあたりには、佐賀城東濠(昭和になってから埋め立てられた。現在の好生館病院のあたり)に隣接した
かつては川の中州であった「万部島」と言われた地域であった。
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このあたりは名残りらしき水路が、あちらこちらにあります。




戦国時代に佐賀を治めた龍造寺家兼は、領内の僧三千余人を集めて、この地で法華経一万部の読経をさせ
国家安泰・武運長久の祈願をさせた。江戸時代・鍋島家になっても、家兼の故事にちなんで読経を行い
代々の藩主が石碑を建てて行ったのである(十一代直大まで)

万部塔11基と六地蔵が南北2基、建てられています。
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この地の南側には「佐賀の役招魂碑」
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明治7年、一般的に「佐賀の乱」と言われることの多い不平士族の騒乱。
現地では、江藤新平らを「逆臣にあらず」と思う人も多く
江藤の墓にお参りすると願い事がかなうと、参詣者が絶えず、県庁が禁じるお触れを出したと言う。
だから「佐賀の変」「佐賀の役」と呼ばれることが多い。

招魂碑は大正9年に地元の有志らによって、戦没者を慰霊するため建てられた。
藩の安穏と領民の息災を祈願する場所だった、この地が選ばれたと言うことでも
地元の方たちの思いが伝わってくることです。


次に前回行けなかった佐賀城本丸歴史館に行きました。
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佐賀城は江戸時代、大きな火災に二回遭っており
天守閣は江戸時代後期には再建されず、この本丸御殿は天保6年(1835)の火災を受けて
鍋島直正(閑叟)が再建を指示、その後は藩政の拠点となった場所である。
老朽化もあって、御座間(藩主の居室)の部分を城外に移築し、建物は取り払われていたが
この御座間を再度、城内に戻し、遺構の大部分が新築復元された。
木造復元物としては日本最大級の規模を誇る。

手前の建物が御座間部分。
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入場料は無料(!)ですが、満足度に応じた寄付金を納めるようになっています。
案内はボランティアの方が細目に巡回してされていました。
佐賀城の解説と、藩政では特に幕末維新のパネル展示が充実していて
こちらに来れば、佐賀の先進性と優秀な人材輩出の理由がかなりわかると思います。
もちろん十分な寄付はさせていただきました!

この後は三重津に向かいます・・・
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by enokama | 2012-06-06 22:06 | 歴史連載 | Comments(0)