京の冬の旅特別公開・妙心寺と再び北斎展
その合間の添乗仕事も毎週ぐらい依頼があるって感じで(かなり断ってしまってるんですが)
まともな休みが3週ほどなかったんですが
やっと時間ができたので、先日の日曜日は京都でいろいろと満喫してきました!
まずは「京の冬の旅」がラスト日だったので、公開箇所の多い妙心寺に行ってきました。
最終日でかなり人が多くって「妙心寺三門」にも上ろうかなと思ってたんですが
あまり上りたい気の起こる門じゃなかったし(東福寺や南禅寺に比べたら迫力がちょっと・・・)
綺麗すぎて、人も多すぎてゆっくりもできなさそうだったので止めました。
そして少し付近を歩いてたらこんな碑が
まさか、佐久間象山の墓がここにあるって知りませんでした・・・
大垣の金森吉次郎は「治水事業の大家」として有名な人(→こちら)
大垣には銅像もあるようで、僕も行った時に見ていたかもしれません。
ひょっとして象山の門人とつながりがあったのかな?
お墓は、このつきあたりの塔頭にあります(妙心寺・太宝院)
春と秋に、こちらも特別公開もされるようなので、また機会があれば行ってみたいです!
そして「妙心寺・玉鳳院」の公開に行ってきました。
ただし、庭も含めて写真は完全NGなので(すかさず注意されます)つたない私の文章でご勘弁のほど・・・
こちらは花園法王がこの地にあった離宮を寺院(禅宗)に改めて、一番最初に建てられた塔頭寺院で
妙心寺でも特別な場所だそうです。
方丈の龍の襖絵や椿の模様は鮮やかなものですが(こちらは皇室ゆかりになります)
豊臣秀吉の3歳で亡くなったと伝わる鶴松の霊屋「祥運院殿」があったり、本能寺の変でなくなった
織田信長父子の供養塔(二つ五輪塔が立っている)またHPには詳しく書かれてはいなかったんですが
武田信玄一族の五輪塔が四つあったりと(武田と織田は横並びに!)
これだけのビックネームゆかりのものが揃う寺院って、まずないんじゃないかと思います。
武田一族は元来から妙心寺とのつながりがあって、信玄は分骨されていて
勝頼らは亡くなった後に首が京に送られて晒されたのを、こちらに埋葬されたそうです。
これはほんと知らなかったな・・・
信長父子の供養塔は、別の場所にあったのを家来がこちらに依頼して移されてきたそうです。
また僧の儀式でしか入れない「微笑庵(みしょうあん)」は、ほとんどの伽藍が応仁の乱で焼けた中で
東福寺から移築された室町建築の山内最古のもので
皇室方の入る二つの門は一方が大坂の豪商・淀屋が江戸時代に寄進したもので(こちらは入口用)
もう一方(出口用)が山内で、応仁の乱にも唯一焼け残った最古の門だそうです。
外から撮影、矢の貫通した跡がある。
それにしてもこんな貴重な場所があったとはね。
また公開があれば、ぜひおすすめの場所です!
この後は二回目の「北斎展」へ(→前回の記事)
今回はチケット売り場やエレベータも誘導・整列されていたんで、大変な混雑かなと思ったんですが
前回と大差はなかったように思います。
天保山と九十九橋(半木半石の橋の奇橋)も見てきました。
天保山は比較的できてすぐ(浚渫の行われた後ほどなく)天保年間に書かれたようです。
今回で印象に残ったのは(前期と展示替がされています)
岡崎の矢作橋と淀城付近の風景で、淀城が水上に浮かぶような様は迫力ありました。
あと、とんでもない山の上に雲が浮かぶような橋の風景や
琉球の風景ってのもあったんですが、どちらも実際見たわけではなく
想像だったり(琉球は聞き伝てで、橋は実在しないものも含まれているらしい)するわけで
改めて北斎の凄さを実感しました(3月25日まで)
象山のお墓の理由そうだったんですか・・・
僕も妙心寺は比較的近くって行きやすいんですが
全然知りませんでした。。。
また、機会があれば拝観も行ってみたいです!
北斎展も、結局2回行くほどはまってしまいました(笑)
海外でも評価が高いのが、わかるような気がしますね