エノカマの旅の途中

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北斎展と明治維新の京都学制整備に貢献した西谷良圃

先週土曜日は今年3回目の京都行。

午前中は京都文化博物館の「北斎展」に行ってきました!
有名な「富嶽三十六景」や「名橋奇覧」は圧巻でした。
他に忠臣蔵や百人一首をモチーフにした作品群など、テーマも奥が深いです。
品川御殿山の桜と富士、日本橋から江戸城の向こうに富士、神奈川沖浪裏(→こちら)あたりは
自分自身がここ数年で現地で巡ったこともあって、江戸時代の良き日を偲ばれる思いでしたし
よくぞこんな発想が浮かぶなと・・・ほれぼれする思いで見ておりました。
また3月は後期展示として。完全に入れ替えるようなので、できれば行ってみたいです・・・
(福井の九十九橋や大坂天保山の風景が見られる)

それにしても長寿だし活動期間が長いんですよね。
寛政から文化・文政~天保まで。
どれだけ治政者が変わって、経済政策も変化したことだろうか。。。




今日の霊山歴史館土曜トークのお題は
「人づくりの教育者・西谷良圃と仲間たち」と言うもので、研究者の結喜しはやさん。
正直、西谷良圃と言う人は全然知りませんでしたが、聞いてみれば大変な偉人だったと思います。
結喜さんもこの人のことをもっと知ってほしいってことでしたので、こちらでも紹介させていただきます。
くぐってもなかなか出てこないんですよね。。。

文政年間(1824)の生まれの良圃(りょうほ)さんは、寺子屋「篤志軒」(とくしけん)八代目当主で
書道師範でもありました。
当時の京都の特色ですが、女子の通ってくる比率が非常に高いんですよね。
それはお公家さんの多い土地柄でもあって、出入りの商人等にも教養が必要ってことでだそうです。
また大坂もそうでしたが、京都の商人たちにも文化・人物を守り育てようとする土壌がありました。
そして、幕末の動乱期にも「教育が一番」(慶応3年と言う微妙な時期)と言う信念で
「貧富の差なく、父兄の負担なく」と言った理念を掲げて、幕政末期の末期の京都町奉行所に建白を出し
その後は長州人・広沢真臣、同じく長州閥でのちの京都府知事・槙村正直に取り上げられ
旧来からの番組(町割り)64校が、明治2年末と言う早い時期に開校しています。
旧幕臣が移り住んだ「静岡兵学校」併設の小学校も早いとされているそうですが
すべての市民対象としては画期的なことでしたでしょうし、従来からの「京都コミュニティ」もあり
その小学校に併設して、警察・消防団・役所の窓口等がある「地域の拠点」と言った位置づけもありました。
また、運営は地域で各戸からの割り当て金(かまど金)とともに、金融業も兼ねた資金団体もあったそうです。
まさに地域で盛り立てて行こうと言った気概があったのでしょうね。

そして「寄合」と呼ばれたサロンには画家・森寛斎、幸野楳嶺、宮内省御用達の文具商で
幕末は尊攘派のスポンサーにもなっていた「鳩居堂」の熊谷直孝らもいました。
熊谷は京都の種痘所(→日野鼎哉)の設立にも協力しているんです。

なかなか違った目線での幕末維新史も面白かったです。
また、良圃さんはお墓にも駒札みたいな案内がないってことで
もっと知ってほしい人物ですよね・・・
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by enokama | 2012-02-08 23:27 | 私の好きな京都 | Comments(0)