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エノカマの旅の途中

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山村竜也の「歴史人」大政奉還の章の文章が酷い

(残念ながら八年後にも健在→こちら

「歴史人」て言う雑誌があって(季刊の特別編集かと思ってたんですが、月刊誌のようです)
1周年記念ってことで「幕末維新」の特集でした。
ライターが桐野作人さん、青山忠正さん、町田明広さん、一坂太郎さん、家近良樹さんと
実際に講演を聞いたりお話して、知った方が多かったので購入しました。

これだけのメンバーなので、それぞれしっかりした文章だったんですが
今僕もブログで書いている「慶応3年の大政奉還」あたりの執筆者には
素人の僕から言うのもなんですが、怒りすら覚えました。。。
他の方がしっかりしているので、つられてこんな駄文を信用してしまう読者がいるんじゃなかろうか。
それと僕もいろいろ参考文献を、図書館で集めたりして突き合わせるんですが
「そんな解釈、どこの誰がしてるんだ」って言う、あいまいな文章の連続には閉口してしまった。
そら、大河ドラマも駄作で通ってしまうわ。
童門さんはこれだけ歴史ブームになってきたら、引くとこは引いてはる感じだけど
この人は「歴史研究家」って名乗って、講演もしてるんよね・・・
雑誌の編集者もミスキャストだし、家近さんもこんな駄文見たら怒ってるだろうと思う。
なんでこんな文章が通ってしまうんだろう。



まず「四候会議」(慶喜といつものメンバー)の項では「久光以外の者は積極的な倒幕論者ではなかった」
ってとこから。メンバー見ろよ、倒幕言える立場か・・・春嶽や容堂はまだ微妙だけど、慶喜をある程度支えないといけない面もあるし、久光が「倒幕」的な手段も考えるようになるのは、この会議の後からです。 
結果は慶喜が押し切った形なんだけど「久光程度では慶喜には太刀打ちできない」って結論づけてます。
こんなこと書いてるのは見たことないな・・・小松や大久保を重用して「ぶれない開国論」で幕末屈指の雄藩を作り上げた久光にそんなことを言うのは失礼だろ。
問題は「兵庫開港」(こちらが本来の主題)「長州復権」の後先を巡っての争いで、結果は松平春嶽の仲裁で「二件同時」になり
「兵庫開港」は慶喜の主張が通り、長州復権の内容に関しては「具体的な復権策を出さずに寛典に」
だけであって、慶喜が完全に押し切ったんです。

次に「龍馬が後藤象二郎に授けた奇跡の無血革命案」と仰々しい題をつけて
龍馬の考えでは、徳川家がみずから政権を手放すかわりに、新しく樹立される政権にも一諸侯として
参加する権利が与えられる。徳川を存続させながら倒幕が実現するという、奇跡のような無血革命策だった。
(面白い文章なこと 苦笑)
大政奉還策は龍馬よりも先に何人も構想していたのは、歴史好きなら常識だし
近い人物だと武市半平太や中岡慎太郎も、慶応三年四月には大久保利通も唱えています(ちゃんと徳川を一諸侯にすると書いてある)
そして上記の研究者だったら「船中八策」が創作だって言うのは常識のことで、否定文はわざわざ書かないけど、皆さんの論文等では触れられていないはずです。
それをわざわざ「新政府綱領八策(八義)」との比較なんて書いて、どこの安物の二流雑誌って言うんだ。

「薩土盟約」の項は一番酷い。
乾と西郷の盟約(「武力盟約」って言うのかな)はそんなしっかりしたものでなく、中岡慎太郎の手紙と板垣退助の回顧録程度の伝聞しかなくって「薩摩が立てば土佐は責任を持って、この乾が兵を出します」と言った口約束程度のもの(この約束で「鳥羽伏見の戦い」で土佐が薩長側についた)
そのあとの薩土の在京有力メンバーが集まった「薩土盟約」は「大政奉還」と平和的といわれる手段を慶喜が飲まなければ「武力に訴える」という「大義名分」を得られるので、西郷も慎太郎もその部分で乗ったもの。
慎太郎が「藩論」になったから渋々承諾したってのは、見たことも聞いたこともありません・・・
だからこの後の後藤の帰国は「大政奉還建白」の仕上げに加えて「武威が必要」として兵を上洛させることが薩摩からの条件だった。
前記の乾と西郷の「武力盟約」がこの時点で「破棄された」(?)となっているが、全然つながりのないもので(西郷・乾・吉井・中岡ぐらいしか知らない秘密盟約だったから、破棄云々はあてはまらない)
本当にこの表現が、どこから引っ張り出されたのが意味がわかりません。

4項の間違いは、薩摩の出兵の動きを警戒して、上洛の遅れた後藤が大政奉還の建白を急いだって点。
後藤が西郷に出兵の延期を訴えるのに手間取ったため、建白の提出が遅れ
むしろ幕臣の永井尚志に急かされたってのが実情。
坂本龍馬があくまでこの時点で「無血革命」に固辞してるってのも間違いで
8月終わりから9月って、ライフル銃を土佐に持ち込んでるころ(土佐にいざとなれば、武器を持って立たせる覚悟を求める)やんか!

そして、10月3日に土佐が建白を出したら薩摩はあせったらしい。
盟約のころからどれだけ立ってるねん・・・土佐がもたもたしすぎてる時点で終わり。
薩摩は長州そして芸州、それぞれ提携して各策(出兵上洛)も進めていたし、あせるわけない。
そして小松帯刀は「薩摩藩では珍しく武力討幕一辺倒ではない」らしい・・・
ずっと「公武合体」できた薩摩が、ごっそりとみんな討幕になるわけないでしょう。
幕府を倒すってこともいざとなれば余程の覚悟も必要だし、財政面でもやはりきつかった面もあって出兵を準備する一方で、大政奉還策も利用する「両面策」もあり、龍馬もそれに近い考えだった。

あと、慶喜の大政奉還を取った結論もひどいもんです。
「慶喜の先を見る目に誤算があった」
「大政奉還という歴史的決断は、単に慶喜が政局を読み違えたものにすぎなかったのだ」
どこにそんな引用文献があるんでしょう・・・
まあ、今このあたりも調べてるんですが、戦に持ち込むことがなく慶喜が耐えたら
その後の政局の中心に慶喜がいる可能性が高かったんです。
島津久光になったとしたら、むしろ頭を付け替えて乗っ取った印象で、今まで同列だった各藩が今から薩摩に従うと言うのも面白くないから、むしろ慶喜がトップの方がまとまるだろうという考えも多くあったようなんですよ。

「小御所会議」のクーデターは徳川に懲罰的不利な条件だったけど、このあと「不公平だ」って声が各諸藩や外国からもあって、それを受けて尾越が動いてかなり条件は取り戻したんですよね。
このことは全体的にあまり書かれていないことだけど・・・
そして「小御所会議」で慶喜は改めて大政奉還の決断が失敗だったと思ったらしい(苦笑)
大坂に移ったのは京都の居心地が悪いってことじゃなくって、戦略的なこともあるんですけど。
結果的に「失敗だった」の語句の繰り返しですけど、そんなもん猿でも書けるわ・・・
「それで大政奉還による平和革命は結局成就せず、日本は新時代を迎えるために多くの血を流すことになったのである。」と得意気にまとめておられます。

後のながれは「新選組」でつないでるから、まあそれはそれでいいんでしょう。
最後の「江戸無血開城」は勝海舟の伝承話で占められています。

まあ、よくもいい加減なレベルの低い文章だったか・・・
他のライターさんの本はぜひ買って「歴史の真実」を知りたい方は勉強してください!
YTさんは買わないで・・・ネットでくぐるのと変わらないから。
Commented by Uちゃん at 2011-11-04 15:59 x
誰かすぐわかりました(笑)この人本当に酷いですよね
自分の本でも、武市さんの事を、暗殺を好んだ 残忍なテロリストとか書いててあまりのいい加減な記事にうんざりしたんですよ。
その一方で、この人は岡田以蔵のヲタなので、大河でも原作を担当する漫画でもこれでもか!とばかりに美化しまくりです(苦笑)自分の気に入ってる人物は他を貶めてまで擁護するくせに、お気に入りの非がある部分は徹底的に無視。そんな人に歴史家を名乗ってほしくは無いですね。個人的にこの人とK池さんの本は読んで欲しくは無いですね。
Commented by enokama at 2011-11-07 19:54
>Uちゃんさん
コメントありがとうございます!
山村竜也は「歴史家」を名乗ってるんですか?
原資料もまともに読んでないのはバレバレなのに
正直、腹が立ちますね!

あとこの人も去年の大河で便乗本をいくつか書いてましたが
そこで「初めて知る人に特に読んでほしい」ってコメントを見ました。
まあ、初心者以外だったらアラがすぐ出てきますから
そこから逃げ口上です(苦笑)
Commented by 匿名さん at 2012-01-19 21:07 x
山村竜也の書くものは本当に酷い。歴史観なんて全くないようだ。しかも幕末の政治の流れなんて理解しているとは到底思えない。池田屋に階段があったとか、なかったとか、そんなもん歴史学の研究でも発見でも、なんでもないでしょ。ちょっと、酷いよ
Commented by enokama at 2012-01-21 00:59
>匿名さん
実名言っちゃいましたね(笑)
まあ酷い物は酷いから、はっきり言ってやる方がいいでしょうけど。
一度、この人の講演を聞くことがあったんですけど
金を出してまで聞くような内容には到底及ばない酷いものでした。
こう言った人物を「歴史研究家」と名乗らせる業界って
いかがなものかと思うし(加治や童門もそうだけど)
出版物のレベルも上がらない現状ってのも分かるような気がします!
by enokama | 2011-09-19 23:27 | 歴史全般 | Comments(4)