エノカマの旅の途中

enokama.exblog.jp

旅と歴史と競馬のお話をします

ブログトップ

中岡慎太郎と西郷隆盛~将軍・慶喜と四候会議

元治元年(1864)初頭の参与会議瓦解の後、慶喜は禁裏御守衛総督・摂海防御指揮という役職を
朝廷から受け、江戸から独立したいわゆる一会桑勢力の後援・兵力の後盾を以て以後
京都での幕政機関として存在感を表していた。
従来の譜代藩主からなる老中らの幕政運営から「公武合体」たるべき、朝臣としての政権でもあって
一方で朝廷の意向を無視できない時代に変わってきていたのである。
それは慶喜が水戸の出と言うことでの、常に幕府からの警戒を受ける立場にあって確固たる信頼を
得られなかったところで、逆に朝廷の信任を得ることによって、自身の立場を高める意味も持っていた。

この年夏の禁門の変には、禁裏御守衛総督として「御所に弓を引いた」形となった長州を迎え討った。
当初は長と一会桑の私闘として慎重な姿勢だった薩摩も長州の進軍ぶりを見て
「御所侵攻を防ぐ」と言う立場で参戦している。



その後「水戸天狗党一件」があったが、慶喜は上記の立場もあり寛大な処置で臨むとすると
自身への嫌疑にもつながり、自らの決断を下すことができず、若年寄・田沼意尊に一任したが
田沼らはことごとく一党を虐殺する暴挙に出た。
この一件で慶喜の評判は地に落ち、中川宮親彦を始めとする身内と言える立場の人物からも批判を受けた。
結果論になるが「行く行くは長州を目指していた」と言う天狗党の処分は必至だっただろうが
自身の処断でもって、幹部クラスの処刑で留めることはできたはずである
(ただ刑罰の内容を田沼らは慶喜に図ると寛大に出られると見て、速やかな処置に至ったとも言う)

引き続きの長州征伐に関しては西国諸藩は最早、幕命が通じぬ趨勢
(拒否ができて、幕府もそれに処罰を与えらる力がなかった)
にもなっており、どこも財政難と言うこともあり積極的に参戦しない状況で苦戦し
二回目の征長の最中に将軍・家茂が死去し、これも止戦となった。
ただ失策が目立ち、衆望も望めなくなっている立場でも
後任の将軍には、もはや無視できない朝廷への対応においても、慶喜以外の人材がいなかったのである。

そのころ、兵庫開港という問題があった。
日本の開国の流れの中で国際的に約束がされていたが
京に近いこともあり、朝廷が承服せず、特に孝明天皇が強硬であったため先送りにされていた。
攘夷派志士たちの抵抗、外国からの度重なる催促もあったが難しい決断で当時の慶喜の立場
ではどうしようもできなかった。
慶応2年12月、慶喜は徳川宗家を継いだのに続き、正式に徳川15代将軍となった。
ここで一気にその指揮権を以て、外交の矢面に立ちその諸問題の解決を図ろうとした。
「兵庫開港」はこの四候会議での「話し合い」での決定を踏まえて決定できれば
国家元首的な存在として国際的にも認知され、自身の政権基盤も盤石となるだろう。

これに対して、薩摩は前年の征長失敗を踏まえた「長州復権」を優先として臨んだ。
この決断は誤りだったとして慶喜に迫り、政権の主導権を争う姿勢だった。
ここでは前回の「参与会議」が「長州征伐・横浜鎖港」(→こちら)であったのに対し「長州復権・兵庫開港」と
まったく議論・立場が入れ替わっていることが面白い。
議論は慶喜×久光の図式で、久光に伊達宗城が付き、いつものようにあいまいで消極的ながら慶喜に
山内容堂が付く。そして調整担当が松平春嶽。

結果は会議は相変わらず平行線をたどり
「兵庫開港」については慶喜が夜を徹して頑迷な公卿らを圧した。
四候はむろん開港には賛成だが、その手段についての慶喜との対立があった。
(引き続き「幕府主導」での開港では、その利益が従来通りに独占される恐れがあるので)
「長州への寛大な処置」と言う表現の上で慶喜は承知し、二件の同時勅許となり、引き分けのようにも見えるが
薩摩の目論んだ慶喜の失政への糾弾はできず、朝廷主導でなく、勅許を得た上で幕府(慶喜)が引き続き
外交を担うと言う決意の現れだった。
今回も慶喜の粘り勝ちで将軍として、その存在は揺らぎないものと見えた。
[PR]
Commented by ji5isl at 2011-09-10 07:10
明日11日の日曜日、室戸市で松岡さんの講演「中岡慎太郎」。
地元高知での講演、考えれば弊害があって、慎太郎の国外
(土佐外)での活動のはなかなか聴く機会がないですね。
松岡さんがそこまで詳しいのかどうかも、講演内容にないの
でわかりませんが。
その辺の著書もないっすよね、出したら?w
Commented by enokama at 2011-09-11 04:52
>ji5islさん
慎太郎を調べる事は長州を調べることでもあって
久坂・高杉、さらに松陰先生にもつながって行くことですからね。
そして薩摩の西郷さんや吉井さんとの流れ。
まあ青山文庫は田中光顕だし、長州絡みの資料もあるかと思うし
松岡さんの「高杉論」も各書でしっかり書かれてるので
行く価値は十分あると思いますよ。。。

むしろ、こちらからしたら松岡さんが県外で講演する機会が
ないのかなとも思ってるんですけどね!

by enokama | 2011-09-09 23:55 | 中岡慎太郎関連 | Comments(2)