月形家菩提寺の少林寺と平野神社
筑前勤王党と言えば、月形一門とは切り離せないもので
月形しょうがに始まり(変換できない。通称・質(すなお))→深蔵→洗蔵と激烈な「勤王思想」を
植え付けて行き、幕末の福岡藩に多大な影響を与えて行きます。。。
深蔵・洗蔵の代での主な門下生が、鷹取養巴・早川養敬(勇)・筑紫衛・伊丹真一郎・
野村万作(望東尼の夫)らであり、彼らがそのまま勤王党の中心をなし
加藤司書や黒田播磨の家老クラスの支持も得て、藩政・国政一新を目指したものであった。
ただこれらの人物がことごとく殺されてしまい、幕末の回天に大きな役割を持った時期が
あったことも伝えられず、あまり知られていないことが現状です・・・
その月形一族の墓所が、予備校が多くあったころから呼ばれるようになった親不孝通り
(今は親富考通りになっているらしい)の一角にあります。
門を入ってすぐ左に並ぶ墓所
わかりませんが 苦笑)
特に月形一族墓所とは書いていませんし、場所もお寺の方にお聞きました。
ちょっと寂しい気もしますね・・・
近くには黒田家菩提寺の一つ、安国寺があります。
大きい寺ですが、特に家紋とか特徴もないんですが(門の仁王さんは有名で立派)
こちらには建部武彦の墓もありました。
続いて、そんな勤王党のくくりに入らない憂国の志士・平野国臣のゆかりの場所です!
やっぱり活動範囲が広いし、一番知られている人物なんでしょうね。
昭和通りで大濠公園行きの西鉄バスに乗って、終点から北へ歩いて10分ほどでしょうか。
坂もあって丘の上にある西公園へ(桜の名所とか)炎天下では疲れます(汗)
近くには黒田如水・長政を祀った光雲神社もあります。
そして、もっと登ったら志賀島や能古島が見えます・・・
最後に平野国臣生誕地にある平野神社に行きます。
もうクタクタだったんで、西公園駐車場で休憩中の運ちゃん起こして(すいません!)タクシーで移動しました。
地下鉄の通り沿いにあるんだけど「こんなところに神社あったんだ」って、驚いてました!
平野神社
地下鉄なら唐人町駅から西へ少し歩いた所です。