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エノカマの旅の途中

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旅と歴史と競馬のお話をします

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長州に古川薫先生がいてよかった。。。

古川薫さんの著書の紹介です!
(前回の記事→こちら
今日は3冊
長州に古川薫先生がいてよかった。。。_f0010195_21513045.jpg




「暗殺の森」
天誅組の首領だった公卿・中山忠光の亡命先・長府での死を巡る作品。
実は尊攘派の勢力が落ちていたころ、厄介者扱いだった忠光は長府藩によって暗殺されていたが
のちの時勢の変化、明治維新に至りタブーとされてきた。
昭和初期、その暗殺を調査する影のある一人の男の生き様と重ねた、異色の切り口になっている。


「閉じられた海図」
江戸時代、彦根・大垣・庄内と言った雄藩以外の譜代小藩の生きる道は
幕閣の有力ポストを得ることで、地位・名誉と幕府から石高加増や優先的な補助金を受けることだった。
ただ、その猟官活動には巨額の賄賂が必要で、ポストについてその賄賂を受ける身になることで
回収すること。それが代々引き継がれて行った…
名宰相・阿部正弘も地元・福山藩の財政は火の車であって、幕末の傑物・山田方谷を起用し
財政を立て直した備中松山藩でも、藩主・板倉勝静の猟官活動の出費に、さすがの方谷も
頭を悩ませたと言う。
19世紀初頭、浜田藩主・松平康任も、猟官活動資金を盛んに国元に要求した。
さほどの産業もない藩財政は傾き、そこで海に活路を求める。
それは国禁の抜荷(海外密貿易)で、船は赤道近くまで行くが
やがて発覚する・・・(竹島事件)
シーボルト事件で評判の悪い隠密・間宮林蔵の描き方も見どころ。

実は日本海側では抜荷は盛んに行われ、浜田の他では新潟港(当時は長岡藩領)でも摘発があり
(薩摩藩が密輸入した唐物を新潟に降ろして、江戸へ持っていき売りさばくルートがあった。
この「取り締まり不行き届」として、新潟港は長岡藩から上知され幕府(天領)の領地となった。
ただし、これは口実で「新潟港の利益」が第一の目的だったとも言われる)
加賀藩・薩摩藩・長州藩あたりも、大々的に行われていた。
江戸幕府は海外貿易の独占において利益を得て、各藩の財力より優位に立っていた。


「誰が広沢参議を殺したか」(他 短編集)
この事件は維新前後の暗殺では、まったくのミステリーと言って過言ではない。
ただ「結局どうだったの?」で終わるので、ちょっと消化不良・・・

「遺書と牢名主」
主役は松陰先生です。
古川先生の松陰に対する思い入れは、どの作品を見ても半端ない!。
なんて、こんなに純心なんだろうかとも思うけど、残された書簡や行動を見ると
こう描かざるを得ないし、そうなるのかな…
小伝馬町の牢獄での遺書「留魂録」誕生の話。
「行ってきます」こんな文章を書いてしまうと、泣いてしまいそうだ。

「橋を渡ってくる灯」
第二奇兵隊・大橋敬之助こと立石孫一郎の話。
司馬御大の「倉敷の若旦那」でも書かれているけど、ちょっと軽薄な感じに見えて
こちらの方が立石孫一郎の本質に迫れていると思うし、話としても面白い。
脱走兵は「暴発」に至る過程の気持ちもわかるし、鎮圧する側の考えもわかる。

「塞翁の虹」
いわゆる「第一次征長」の時に、どう長州が総督慶勝・参謀西郷に対峙し
いかなる条件を提示し、戦を回避できたのか。
矢面に立ったのが長州支藩岩国・吉川経幹で、大藩・芸州藩を巻き込んでの救済工作を行った内面を描く。
条件の一つに「三家老の首」があったが、その一人ひとりの切腹にもそれぞれのドラマがあった。


歴史好きもいろんなタイプがあって、自分が好きな人物をとことん追っかける人も多いけど
僕はその事件一つ一つの裏面を探る方が好きかなと思います。
「~が起こった」「~が腹を切った」その内実が知りたいんです!
ただ残念なのは、本屋に行ってもほとんどが絶版になっていること。。。(みな中古で購入)
昨年みたいに大河のきっかけでもないと(>平尾先生の本)
自分で調べずに、創作本を鵜呑みにして結論づける、いい加減な歴史本の溢れている中で
埋もれ気味になっているのが残念なんです。
「~の真実」とか「偽りの~」のタイトルが一番あてにならない(苦笑)
少し違うけど、庄内本を書くときに幕末じゃなくって「江戸幕府を知る」関係で
いろいろ読んでいたら、一昔前だけどしっかり描かれているのが結構あった。
あんな去年の大河みたいに馬鹿にされるだけの幕府ではないんだよ。
歴史に向き合わない人が(しっかりと知ろうとすることが少ない)今の時代に多いから
現代の外交なんかでもドヘタで馬鹿にされるんです。
歴史オタで大久保や西郷や榎本をしっかり話せて、外務省に資料もあるだろうから
ロシアなりアメリカとの交渉の場に持って行って語るだけでも、外交の一つにならないのだろうか?

古川さんは、その一つ一つの事柄をしっかりと調べて、読み応えのあるものになっていて
僕が好きなのは「一方的に誰が悪い、どっちが悪い」って決めつけないところなんです。
どっちの立場もわかるような気がするし
基本が地元長州中心としても、決して美化することなく「脱退騒動」や
奇兵隊も「平等」のシンボルのように書かれることもあるけど(去年の大河にしろね)
厳格な身分制度や差別があったことも、しっかり書かれています。
別に去年の大河に便乗したN氏のように、長州を一方的に罵ったような文章を書かれる以前に
しっかり実証されているわけですよね。

僕なんか「会津作家が嫌いだから、会津が好きになれない」一人ですが
その人たちの言う「勝った側から見た歴史とは違う」で一方的に相手を攻撃することで
存在感を表現しても、受け付けられないアンチは出てくるんですよ。
まあ、今回の震災でも萩と会津の地元レベルの地道な交流はしっかりできてるんですよね。
ただ外野で文句言う、分からず屋がごちゃごちゃさせるだけで…
そういった中で、会津に「S乙女記念館」ができるそうなので、そこに「古川薫コーナー」を
置いたらいい(実際に二人は交流があったらしいし、検討されているかもしれないけど)
長州のいい所も悪い所も書いてあるから、会津の人にも受け入れられるはずです。

でも逆にS氏の本を山口に置くこと・・・
絶対無理ですよね。
このあたり会津は損をしていると思うんですけどね。

だから、長州に古川薫先生がいてよかった!

by enokama | 2011-06-03 23:23 | 長州藩 | Comments(0)