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エノカマの旅の途中

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中岡慎太郎年表とまとめ

中岡慎太郎記事がかなり増えてきて、自分でも検索が大変になってきましたので
年表・時系列で記事を当てはめてみました。
順次、更新して行きます!
(記事をクリックすると詳細記事が出ます)
詳しくは「中岡慎太郎の行動から見た幕末維新」をお読みください。


★1838  天保九( 1歳)  
北川郷大庄屋・父中岡小伝次、母ウシの長男として
土佐国安芸郡北川郷柏木村(高知県安芸郡北川村柏木)で誕生(幼名)福太郎  →記事記事2

★1840 天保十一(3歳)  
名前を「光次」(みつじ。こうじと読んだ可能性も)と改める

★1841  天保十二 (4歳) 
柏木村の松林寺住職・禅定和尚から読書を学ぶ  

★1844  弘化元(7歳)  
安芸郡野友村の漢方医島村策吾に四書を学ぶ →記事記事2

★1853 嘉永六(16歳)
間崎哲馬(滄浪)に入門 →記事 

★1855  安政二(18歳)  
田野学館にて武市半平太に剣術を学ぶ →記事

★1858  安政五 (21歳)  
北川郷大庄屋見習いとして、父に代わり村政を司る →記事

★1860  万延元 (23歳) 
野友村庄屋利岡彦次郎の娘、兼と結婚

★1861  文久元 (24歳) 
8月 土佐勤王党結成。慎太郎も加盟する
11月26日 北川竹次郎に北川郷総老職を継ぐよう説得する手紙を出す →記事

★1862  文久二 (25歳)
10月15日 五十人組結成。江戸へ行く(11月16日着) →記事
12月11日 長州藩士・山県半蔵と久坂玄瑞とともに、水戸・松代へ遊学に出る →記事記事2記事3 

★1863  文久三(26歳)
2月 光次、「慎太郎」と改める
9月5日 脱藩。長州へ向かう(9月19日、三田尻到着) →記事記事2記事3記事4記事5
12月25日 三田尻招賢閣にて会議員となる →記事

★1864  元治元 (27歳)
1月 上洛。長州藩邸に起居し、高杉晋作と島津久光暗殺を計画する  →記事
3月ごろ 中沼了三塾に入門する  →記事 
5月27日 三田尻着。湯田へ向い、三条・土方・久坂・品川らに京師情勢を報告
6月7日 三田尻を出発し、京都へ(6月5日 池田屋事件) 
7月19日 禁門の変に参戦。負傷するも長州に帰還  →記事記事2記事3記事4
9月5日 奈半利河原で「二十三士」処刑される →記事記事2
11月 時山直八と因州探索 →記事
12月4日 「寺石貫夫」の変名で西郷吉之助(隆盛)と小倉で初めて会う
 五卿動座→薩長同盟画策の始まり →記事記事2記事3(合わせて、福岡藩のカテゴリもご覧ください)  

★1865  慶応元(28歳)
1月30日 赤間宿滞在の三条実美から土方久元とともに上京を命じられる →記事
2月8日 白石正一郎宅で「薩長提携」に向けた長府藩士らとの会合 →記事記事2記事3
2月13日 京都入り。薩摩藩邸に滞在 →記事
2月17日 長州藩「武備恭順」の方針となる →記事
3月3日 薩摩藩蒸気船にて、太宰府へ帰着
4月27日 大宰府を発ち京都へ(5月15日着)
5月24日 京都を発ち鹿児島へ(閏5月6日、鹿児島着) →記事
閏5月21日 下関で桂小五郎、坂本龍馬に西郷の不参を報告 →記事記事2記事3
29日 下関を出港し、龍馬とともに京都へ(6月18日着)
8月5日 山口にて「下関開港問題」に苦悩する桂小五郎を励ます。自身も「開国論」に傾く →記事記事2
10月23日 五卿の使者として「勤王党弾圧」の風聞があった福岡藩に赴く  →記事
11月22日 五卿応接掛に任命される
この年の冬ごろ「時勢論」を執筆  →記事

★1866  慶応二(29歳)
1月 大宰府にて年始を迎える(五卿付きの変名・大山彦太郎)  →記事
1月21日 薩長同盟を結ぶ(京都の小松帯刀別邸(推測)にて、龍馬が立ち会う) →記事1記事2
2月10日 三田尻を出帆し京都へ(中旬頃に着)
3月 馬関上陸。長府藩士・三吉慎蔵と交流を深める →こちら
6月 四境戦争に備えた「桜島丸条約」に基づく、桜島丸の長州回航を木戸貫治から依頼される →記事
8月1日 小倉城炎上。長州藩、四境戦争に勝利 →記事1記事2
10月26日 「竊に知己に示すの論」(大政奉還論を主張)を執筆し、京都にいる同志に示す →記事
11月 「愚論竊かに知己の人に示す」(土佐同志に兵制改革を説く)を京都で執筆 →記事
11月24日 義兄・北川武平次上洛。大坂屋与兵衛スタジオにて写真撮影  →記事記事2 

★1867 慶応三(30歳)
1月 下関で高杉晋作、坂本龍馬と会談。大宰府に着府 →記事
2月 二日市温泉・湯町堺屋で湯治 →記事
このころ、坂本龍馬とともに脱藩罪を解かれる
3月9日 鹿児島で島津久光に謁見し、五卿への伝言を受ける →記事記事2
3月14日 長崎で龍馬社中メンバーと福岡藤次付きの門田為之助に会い、海陸両援隊構想を聞く →記事
4月5日 京都に入る。暗殺まで京都周辺に留まり「倒幕勢力の結集」に尽力する →記事 
4月21日 岩倉具視に初めて会う →記事記事2記事3
5月21日 薩土討幕の密約を交わす(慎太郎が乾退助を西郷に引き合わせる) →記事記事2
6月22日 薩土盟約締結(慎太郎と龍馬が立ち会う) →記事記事2
25日 龍馬を連れて岩倉具視を訪問し、密談
7月27日 陸援隊結成(本部は京都白川の土佐藩邸。隊長として「横山勘蔵」の変名を使う) →記事記事2記事3
各地から入隊が相次ぐ →記事記事2記事3
8月 時勢論(Ⅱ)を著す
9月22日 「兵談」を執筆し大石弥太郎に送る →記事
10月15日 徳川将軍・慶喜、大政奉還 →記事記事2 記事3
10月18日 京都薩摩屋敷で岩倉、吉井、伊地知と会談 →記事
11月15日 京都近江屋で坂本龍馬との会談中、刺客に襲われる →記事記事2 
17日 慎太郎死去。霊山墓地(現京都霊山護国神社)に葬られる  →記事

by enokama | 2021-01-12 21:50 | 中岡慎太郎関連 | Comments(0)