エノカマの旅の途中

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京都でまだ立っていない石碑

いろいろくぐって見てたら、去年あたりは京都でたくさん幕末の石碑が立っているみたいです。
まあ、大河ドラマに便乗したような石碑が多いので(そう言ったきっかけがないと自治体
あたりだと予算が出ないこともあるけど)僕としてはどうでもいいわけだけど
ただ単に一過性の観光客集めの建立よりも、本当の顕彰って言う意味での実際に歴史を動かした
ような場所に、まだ立っていない所があるんと思うんです。

一冊の資料が手元にあるので、紹介したいと思います
霊山歴史館紀要 第16号「幕末の石碑を訪ねて」石田孝喜氏 より

参考→こちら(いしぶみデータベース)  



京都の幕末(他の時代ももちろんある)石碑は大正初期から「京都市教育会」で郷土史家や
学識者たちの協議によって建て始められました。
高瀬川沿いだと 木戸孝允別邸・武市瑞山寓居址・吉村虎太郎寓居址・佐久間象山寓居址・長州屋敷址・
坂本龍馬海援隊寓居址・坂本龍馬中岡慎太郎遭難之地・中岡慎太郎寓居址・・・
京都中心地でおなじみの石碑の多くは、戦前にすでに立っていました。

そして明治100年の昭和43年には、他に116か所の維新史跡の建立を候補として上げました。。。
その中で最近立てられた碑で言えば
「坂本龍馬、三好慎蔵の難を逃れた材木納屋」「坂本龍馬妻龍子ノ父楢崎将作の宅址」
正直、嫁さんの実家の碑と何の変哲もない、たまたま寄った小屋跡に顕彰の碑立てるって
えらい個人的なことだし、必要ないと思うんだけど
他の候補には見られない(それぞれ各人の寓居址や京都藩邸が多いし、幾松の実家とかはないわな 笑)
ことだから坂本龍馬は特別ってなんでしょうか?…この年代も年代ですし。
納得できんけど・・・

昭和43年のリストでその後、立てられたのが
「橋本左内宅址」「本間精一郎遭難址」「久坂玄瑞ノ密談ノ角屋」「大村益次郎寓居遭難址」
含めて10か所ぐらいで、案外立てられていません。
まあリストの谷守部、土方久元、神山佐多衛、福岡孝弟、桐野利秋らそれぞれの寓居址を
すべて立ててしまえば、四条河原町上ルのあたりは石碑だらけになってしまいますけどね。。。
(「史跡のいしぶみ」第一~三集(京都市 昭49)に詳しく載っているようです)
また戦前に立てたもののその後なくなってしまった碑とか、本来の場所が道路各幅で移ったりとか
いろいろ裏話もあるようです。

未建立のもので気になるのが
「明保野亭騒動ノ址」(現在の店で駒札は立ててましたが、当時と場所が違っています)
「高杉晋作寓居ノ址」「宮部鼎蔵寓居址」はあってもおかしくないし
「英国公使パークス襲撃之地」(祇園の北側あたり)ってのも、幕末の事件史では重要だと思います。
まあ、最近見てると「龍馬」「新撰組」じゃないと立てられないようだし(お金も集まるし
土地も提供してもらえやすいんだろう→いっぱい立てた伏見「近藤勇襲撃の地」って…いるの。歴史の本には載らないことでしょう)
やはり、それぞれの人物の出身地で建立する形が必要なんでしょうか(→中沼塾跡

最後に声を大にして言いたいのは
「白川土佐藩邸・陸援隊址」の碑がない!ってこと(→ここここ・京大で発掘調査済です)
あれだけ幕末志士の遺墨の収集・顕彰に努め、松屋町の「ぜんざい屋事件」の碑(→ここ)も
立てた陸援隊・田中光顕がなんで、自身の出身隊ゆかりの地に立てなかったんだろう。
石碑のリスト作った人もなんで抜けるかな
結構、史跡めぐりで行く人多いんですよ…でも碑がないから「このへんかな」で終わってしまう。
どうにかしません。。。
どうにかしたい人、連絡ください!
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by enokama | 2011-03-22 21:45 | 私の好きな京都 | Comments(0)