エノカマの旅の途中

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薩長同盟がなったころの中岡慎太郎は何してた?

先週土曜日は、今年最後の霊山歴史館の行事に参加&忘年会に行ってきました!
昼間は木村武仁さんの案内で、京都の高瀬川・河原町周辺の幕末散策。
まあ僕も素人案内で、上洛してきた方とよく歩いたりするんで
おなじみの場所でもあるんですが、やっぱり専門の先生の案内は全然違います。。。
2時間しっかり回ってきまして、とても勉強になりました!
夜は京都で11時過ぎまで、飲んでいました(笑)

歴史館の情報としましては、新年明けてしばらく休館になる時期があるのと
2月の土曜トークが「天王山ウォーク」となります。
僕が記事に上げたばかりなんで、思わず笑ってしまいましたけど
また,行かれる方は、参照していただければと思います!
時間はそんなにかからないけど一応、登山なので靴はしっかりしたのを履いてくださいね。

それともう一つ情報で、京都を歩いててチラシが貼ってあって知ったんですが
■公開講演会(→詳しく
「島津家と近衛家―京都から薩摩への文化伝承―」
講演者 田村省三氏  尚古集成館館長
日 時
12月11日(土)14:00~15:30
会 場
同志社大学・クラーク記念館2階 クラーク・チャペル

同志社大学の敷地は、幕末期に薩摩二本松藩邸の場所でした。
その所縁の講演会と展示があります!
なかなか面白そうです。。。

それではここから本題で、今回のウォークでも取り上げていただいた中岡慎太郎の
(コアなファンの一人です 笑)薩長同盟のころについてのお話。



(関連記事 その1その2その3
慶応2年(1868)9月に郷里宛の慎太郎の手紙があります。

先頃之思惑にては外国に参り申度相心得居申候処、此節又段々出来仕候
先々外国行もやまりに・・・

このころの薩長同盟の流れとしては、長州の有志結束や諸隊の説得と言った初期段階から
坂本龍馬と海援隊による武器斡旋(→こちら)と言う実利を伴う段階にきていました。
慎太郎は彼らに、もう任せてけばいいだろうと思っていたのでしょうか
このころ井上聞多や伊藤俊輔の影響も受けたようで、海外渡航を考えていたことが
上記の手紙で伺えます。

しかし、そのころ大宰府の三条実美ら「五卿付き」の任務にあった慎太郎は
「五卿動座」の中心となった福岡藩(カテゴリ記事にあり)の
勤王党弾圧の動きに封じられます。

10月25日(土方久元日記より)
一昨二十三日之夜当藩正義家十五人陰々密々斬首有之候由。
然に未だ姓名等は不相分…今夜俄かに五卿方使者として建部諌尾(清岡公張・道之助の実弟)
大山彦五郎(慎太郎の変名)両人福岡へ被差出候…

この後、佐幕派のみとなった福岡藩は幕府の意に沿った動きを見せるようになり
大宰府の五卿衛士として、情報探索力に長けた慎太郎は離れられなくなったと考えられます。
のちに実際、五卿召還の動きが出ますが幕威も衰えたと見え、薩摩が中心となって追い払っています。
このことで留学は断念。一方、薩長同盟の一方の立役者としては目立たなくなってしまいました。
しかし、ここで名が出なかったことにより慶応3年後半の京における「討幕勢力の結集」に
佐幕派の警戒をかいくぐり、全力を注ぐことが出来たのです。
しかしながら、あの超有名人と共に暗殺されたことにより
今もあまり知名度が上がってこない訳で、これも運命だったんでしょうか。

余談ですが、この大河で「龍馬暗殺」が「龍馬・慎太郎(藤吉もいた)暗殺」
だったと知った人も結構いるようです。
もう一人誰かいたな…って感覚だったようですけど
これだけでも今回の上川さんの起用が(暗殺前のやりとりがじっくりあって)
よかったんだなと思っています・・・
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by enokama | 2010-12-06 23:45 | 中岡慎太郎関連 | Comments(0)