エノカマの旅の途中

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これから幕末脚本を書く人に読んでもらいたい~中岡慎太郎の時勢論

昨日の「龍馬伝」感想関連のブログや、掲示板をいろいろ見たんですが
「中岡慎太郎はどうした・・」って書き込みが意外に多くって(嬉)

勝海舟の談話(氷川精話)による
「あれ(薩長同盟)は坂本龍馬がいたからだよ」と言う談話から取った
「薩長同盟は坂本龍馬の奔走で実現した」の文言は、あらゆる書籍に引用され
その龍馬の「大政奉還の実現」と並ぶ代名詞として、長い間語られてきました・・・

しかしながら、この「薩長同盟」の実現には中岡慎太郎と言う人物がかなりの貢献をしたと
広めたのが、何を隠そう司馬遼太郎御大・・・
「龍馬がゆく」でも実はかなりのページをさいているし、僕のようにこの本から慎太郎ファンになった人も
意外に多いかもしれません。
そして大半の氏の書籍では「坂本と中岡の奔走で薩長同盟が実現した」と必ず連名になってるはずで
今でも「坂本龍馬が・・・」と単独で止まってしまう書籍が多い中で、重みのあることです!
また司馬先生の好き嫌いもわかりやすいんで
(井上馨の嫌いっぷりは徹底している 笑。 一方、黒田清隆を買っているのはさすがと思います)
入り口になりやすいんでしょうね・・・

だから今年多く出た「龍馬本」でもしっかり書かれた物では、慎太郎の存在や位置ってのが
はっきりわかりますんで、テレビに向かう前に予備知識は持っているんだと思います。
しかし、その高い意識の視聴者に付いて行けず、負けてしまっているのが今回の脚本であり
「龍馬至上主義」や、訳のわからない行動を(昨日の新撰組屯所に行こうとしたことなど)美化するから
評判は悪いし、数字も落ちてしまうんです。。。
まあ、僕としてはこれだけむちゃむちゃな話にしたら、本当に鵜呑みにして信じる人もいなくなるだろうし
ばか話(ありえない話)としたら見れなくもないと思う、今の心境でもあります(苦笑)

今日はこんな今回のスタッフがわかっていない人物評価を
中岡慎太郎がすでに幕末にしていたことについて・・・




(平尾道雄「陸援隊始末記」より)
ちょうど、龍馬が薩長を結びつけたとされる京都の木戸・西郷会談のころに(慶応元年暮れ~2年初めにかけて)
下関か太宰府で書かれたとされる、中岡慎太郎の時勢論です!
内容は長州における時勢と、薩長の最新の動きや人物論。
また、土佐が今後行くべき進路を在国同志に送ったものです。。。

西郷吉之助(隆盛)
「為人肥大にして後免の要石にも劣らず・・」と西郷を例えているのは、土佐の同志向けに
後免にいた力士「要石」の巨体を想像させるためです。 
「此の人学識あり胆略あり、常に寡黙にして最も思慮深く、雄断に長じ、偶々(たまたま)一言を出せば
確然人の肺腑を貫く。且つ徳高くして人を服し、艱難を経て事に老練す。その誠実、武市に似て学識ある者。
知行合一の人物也、是即ち洛西第一の英雄に御座候」

桂小五郎・高杉晋作
「是(西郷)に次で胆あり識あり、思慮周密、廟堂の論に耐ゆる者は長州の桂小五郎。
胆略あり、兵に臨みて惑わず、機を見て動き、奇を以て人に勝つ者は高杉東行、是れ亦洛西の一奇才。」

そして
天下を救う者は暴客の大功也。暴客と言えども其事大抵大卓見ありて然る後能く断ずるものに似たり。
水藩の暴挙(井伊暗殺か)壬戌の勢を醸し、薩州の暴客生麦に発し、長州は馬関に暴発(いずれも対外
戦争につながったあと、英国に接近する機会ができた。戦の効用を示す)天下大有為の基本始めて立てり
その第一の卓識なるもの久坂玄瑞という。吉田寅二郎の門弟にて英学も少々仕り、夷情も大に知れり。
此の人常に論じて曰く、西洋諸国と言えども魯王のペートル、メリケンのワシントン師の如き、
国を興す者の事業を見るに、是非とも百戦中より英傑起り、議論に定りたるものに非ざれば役に立たざる
もの也。是非とも早く戦争を始めざれば、議論ばかりになりて事業は何時までも運び申さずという。
実に名論と相考申候。其旨の証拠と云ふは大箇条二ツあり。一つは生麦の挙なり。是れは不計のものと
雖ども其の国に益ある事、実に夥し。是れより亥七月鹿児島の戦争を引出し、一旦の和は心外なれども
藩論の起る全くは戦争に基く。是れよりして一国大に憤り、是非々々此の大恥を雪ぐと云ふ者にて
人材登庸、武備充実の論となり、西郷吉之助を島より引出して、忽ち執政の役を設けられ、其の三州の中
にも、人材なる者あれば軽輩にても執政にするとて国論定まり、海陸の実備、日々に出来、国政も大に
一新し、実に目を醍さまし申候。 又左の一ヶ条は長の事也。
馬関の戦争を開き京師変動を生じ候より、内外の大難一時に迫り、外は夷に和し、内は天下の軍兵を
引受け、遂に内輪の戦迄に至り候得共、小五郎東行の如き、昨年英より帰りし井上聞多伊藤俊助等の
如きもの、国君を補佐し、所置を得候より、国論大に一定せし故、事益々一新し、二国(防長)の人民悉く
必死不レ逃の地に入り、於レ是か士気益々真実に赴き、武備日々に整ひ、此の頃は議論なくして実行と
相成り、悉く国中の大勢を一新し、鉄砲の一隊のみになし、銃はミネール、砲は元込、長玉等にて兵制全く
改まり、又騎馬隊も頗る盛也。国中に毎日大隊調練これあり、先づ一日に大抵四十六隊位は一度も
断ちたる日なし。実に其勢不レ可レ当あたるべからず。此の一事は全く戦争の功にして、他にて如何様に
仕度くも出来ぬ事に御座候。薩と雖茲こゝに於ては閉口せざるを得ず、且国内諸所に水車場を築き
砲銃を製し、ミネールも日々製造し、海軍も亦盛んにせんとす。
右の通り両藩の実地に運び候は、全く戦争の功にして、卓見家の事業如レ此、自今以後天下を興さん者は必ず薩長両藩なるべし。吾思ふに天下近日の内に二藩の令に従ふこと鏡に掛けて見るが如し。他日国体
を立て外夷の軽侮を絶つも亦此の二藩に基くなる可し。是又封建の天下に功ある処なり。又士気と武備と
如何程盛に相成候共、国体立たざれば敵国外患を待つ所以ゆえんにあらず。且国の大体は何を本もととするや、吾曰く、内には名分大義を明にし、祭政一致と共に皆朝延に帰し、天下の大基本を立つるを以て
急務とす。今日の如きは天下の大機会にして上下勉強し候はゞ、禍を転じて福とし、今日の敵国外患
他日より見候得へば天下の名灸と相成り候へば、実に天下の大功、之に過ぎ申さずと存奉り候。
然るに元弘の事柄思合せ候得者、上中下共に一通りの艱難にては思ひも寄らぬ事に御座候。
何分当時勢の変に御先立なされ、御活論御雄断これありたく、実に此の節は最早や田舎の迂濶先生に
偶々逢ひ、時勢に後れ候論承り候ては、何共気の毒に候間、諸君井蛙の見に御落ちなされざる候様遙かに
祈り奉り候。
其の他嘆ずべく悲しむべき事山の如く御座候得共、今更一言不二仕申さず、只々老婆心の様なる事
思出次第に乱筆仕候。取急候間清書能はず、御推読奉り願候。 不宣。
夜已に四更 

このあたりは、亡き吉田松陰が「南北戦争」を松門下生に語ったことが書かれてあり
長州に身を置いた時に身に付いた考えを、のちの土佐首脳への説得内容にも生かされています。
また、英国と結んだ薩長両藩が軍の近代化を推し進め、今後は薩長の天下になるだろうと
追従することを示唆しています・・・

簡潔でわかりやすいし、最後まで慎太郎の持論として持ち
土佐の乾退助や小笠原唯八らはのちに傾倒して、討幕論者となって行きます。
慎太郎も方向性を探っていた「大政奉還論」についてはまた、改めて・・・
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by enokama | 2010-08-30 23:06 | 中岡慎太郎関連 | Comments(0)