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エノカマの旅の途中

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旅と歴史と競馬のお話をします

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梼原・脱藩の道を歩く~その2

本来なら佐川から津野へ抜けるのが、この本来の「脱藩の道」なんですが
今もこの間は細い道だそうなので
今回のバスは一旦、高速で須崎に出てから、高知県から愛媛県へ抜ける197号線を走って行きます!
そういえば、10数年前にバスガイドさんが「いくな(197)国道」って言ってたのを思い出します。
まだ3桁の国道では、道路整備されていないころの酷道ぶりを表現したものですが
今は快適そのもので、こうやって大型バスの団体でも行けるようになって有難いものですね!
津野あたりの沿線では棚田があったり、ニラの栽培が盛んだったりする山中を抜け
梼原に入ったところ「太郎川公園」でバスを降り散策スタートです!




(ルート案内→こちら
こちらでは地元ガイドで「梼原龍馬会」の会長・下元秀俊さんに案内していただきます(→関連記事
もちろん龍馬扮装をされて、気分は盛り上がりますよ!

ルート案内
梼原・脱藩の道を歩く~その2_f0010195_02537.jpg

まずは那須父子ゆかりの地から・・・

那須道場跡
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梼原・脱藩の道を歩く~その2_f0010195_0274299.jpg

広い跡地が広がっています!

那須俊平はこの地に道場を開き、多くの門弟を育てる。
娘婿で養子に入った信吾は旧姓・浜田で佐川の出。
田中光顕(脱藩前は浜田辰弥を名乗る)とは血縁関係があり、土佐勤王党に参加。
武勇を謳われ、吉田東洋の刺客団に選ばれる。
文久2年(1862年)見事これを討ち果たし(→記事)そのまま脱藩。
翌文久3年8月、天皇の大和行幸に合わせた、天領・大和五条での挙兵に吉村虎太郎らと共に参加。
しかし8・18の政変が起こり賊軍とされ信吾も大和吉野で討死する、享年34。

俊平も信吾の死を受け止め、自身も幕末の風雲に身を投げ出す決意を秘め
元治元年(1864)6月に脱藩。禁門の変に長州勢とともに戦うも堺町御門で戦死。
槍の名手でも知られた、、享年57歳。
もう十分、老境に入っていた年齢での行動にも驚かせられる!

墓所
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Commented by 白根葵 at 2010-08-25 23:26 x
中岡さんとは直接関係無かったので、梼原にはまだ行った事が有りません。脱藩ルートがこっちだったら、もうひとつ銅像が増えていたのになぁ。梼原には中岡慎太郎巡りを踏破してから行ってみたいです。工事中で入れなかった招賢閣にもう一度トライしたいし、大阪ルートも巡ってみたいし。ところで大阪で152歳の人が戸籍上存在するって、ニュースで見ましたか?ちょんまげして生きてて欲しいなんて、ちょっと思っちゃいます。あと、今日のヒストリアは庄内藩のエピソードで締めくくってて良かったですね。
Commented by enokama at 2010-08-25 23:49
>白根葵さん
梼原は天誅組の所縁の人物も多数、輩出した地でしたが
いかんせん、車がないと大変なので行けてなかったので
この機会に行けてよかったです!
まだレポは続けますのでお楽しみに。。。
でも路線バスとかだったら、大変そうです。

三田尻の招賢閣は、工事をしてるのかしてないのかわからないようにも
見えるんですが(苦笑)
終了は来年の春ぐらいだったような?・・・
HPはも一つ信用できそうにないんで、行く時は直接、電話問い合わせほうが
いいでしょうね!

ヒストリア、庄内が出てきてびっくりしました・・・
今から感想書きます!
by enokama | 2010-08-24 23:40 | 土佐藩 | Comments(2)