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エノカマの旅の途中

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旅と歴史と競馬のお話をします

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武市半平太の‘どくまんじゅう‘の意味

別に僕がむきになることもないけど
正直、武市半平太に対するドラマでの扱い、それに関する識者や脚本を信じる視聴者らの
反応ってのがあまりにもひどすぎる。
僕も今回の大河は、香川弥太郎や大森半平太&勤王党(あとは吉田東洋かな)が出てなかったら
見てられなかったと思う。
今までの感想にも書いてるけど、龍馬が魅力的だったとか、よかったとか正直まったくあらへん・・・
周りの人間に「まちがっちょん」とか「おまんのゆうとおり」って言わせて、何でもかんでも龍馬が正しいんかよ。
別に龍馬が間違いやらかしてもいいやん。。。
それを乗り越えて成長することでも話はできるでしょう。
何で周りの人間を歪めてまで立てな、ならんのだ。

ドラマだからフィクションだって思えばいいかも知れない。
でも、半平太がこの次にいつドラマや映画になるって言うんですか。。。
せいぜい10年に1回ほどでしょう。
こんなのやってしまったら、そのイメージがずっと続いてしまうわけですよ。
だから主張したいんです。

今、このブログは1日100ほどアクセスいただいて
おかげさまで専門の先生や、NHK関係者にも見ていただいてます。
一応、記事は基本的に複数の書籍を読んで偏らないようには心がけていますが
まだまだ至らない点もあると思います。

しかし、いっぱしのプロといえる人がこんな偏ったことを書いていいのだろうか?
僕は決して歴史上の人物を悪い印象だけで評価したくないんです。
赤祢武人や世良修蔵なんか、身分は低かったけど必死に勉強し苦労もしてるんですよ。
陸援隊の恥だと思ってた岩村高俊も愛媛県令の時は結構、民主的な事もやってたという。
井伊直弼なんてまったく理解はできないけど、彦根に行ったらやっぱりそれだけの大人物だった。
井上馨(聞多)もひどい奴だけど、欧米の最新の産業・経済構造、資本主義をいち早く理解して
明治の近代化にどれだけ貢献したか!

ある人の記事を貼らしてもらいます。
なんか幕末の人物と現在の政治を比較するテーマらしいけど
まあ、先人に失礼ですよね。。。今、そんな大物政治家いないし。
連載なんでいくつか見たけど、今まで悪く言われてた人はもっと悪く言って
いい人(人気ある人)は持ち上げているだけですわ。
これが結構、ブログで引用されていたりしてね・・・
僕みたいな引用はないでしょうけど!



(産経新聞コラム・山内信之 武市半平太)
幕末では、理想をまず広く据えた上で、それを政治で実現するために手段を選ばぬ方策に
徹したリアリストといえば、土佐の武市半平太こと瑞山であろう。私の子ども時分の
東映時代劇映画の定番『月形半平太』のモデルとなった武市は、色白で身長180センチほどの
偉躯(いく)を誇った男前でもあった。

しかし、そのさわやかな言説や高潔な人格の裏には、大久保利通や木戸孝允にも負けない
マキャベリズムが潜んでいた。政敵の打倒や異論の封殺のために暗殺テロを使った政治手法の暗さは
同じ土佐でも常に大同団結をめざす陽性の行動派の坂本龍馬と対照的である。

しかも、武市はテロに用いた者を手駒として使い捨てにできる非情さを持ち合わせていた。
ついでにいえば、NHK大河ドラマ『龍馬伝』で武市に扮(ふん)する大森南朋(なお)はその暗い理知性を
まずまず巧みに演じている。確かに、武市の組織者としての能力と、人を糾合するカリスマ性は抜群
であった。もともと郷士身分の出身でありながら、剣術道場を舞台に土佐勤王党の土台をつくり
中岡慎太郎や岡田以蔵らを育てた手腕は凡でない。

また、安政3(1856)年に江戸へ出て、鏡心明智流の桃井春蔵道場で塾頭となる一方
桂小五郎、久坂玄瑞、高杉晋作など尊攘派の長州藩士と交わる人脈をつくりあげた才も見事である。

文久元(1861)年に、「一藩勤皇」の理念によって、坂本龍馬や天誅(てんちゅう)組のリーダーになる
吉村寅太郎なども集めて、江戸で土佐勤王党を結成したまではよい。

問題は、自分の進言を退けた土佐藩参政の吉田東洋を開国・公武合体派の首魁(しゅかい)として
同志に暗殺させた陰湿さに始まる。一度、テロに手を染めた者は、血の臭いを消しきれない。
京都でも無数の佐幕派暗殺に関与し、天誅や斬奸(ざんかん)と称して刺客を放ち、政敵を次々に
暗殺させた。なかでも武市の命で動いた“究極のテロリスト”は人斬(き)り以蔵こと岡田以蔵である。

しかし、文久3年8月18日の政変で長州藩が中央政界から追われると、土佐藩でも前藩主の
山内容堂が返り咲き、武市も捕縛され、やがて切腹を命じられた。彼は、容堂腹心の吉田東洋の
暗殺を否定したが、岡田以蔵の自白により罪状が確定したらしい。
一説に武市は、性根の据わらぬ以蔵の捕縛を知って、牢(ろう)役人を使って以蔵に毒を盛ったとさえ
言われる。
以蔵は、毒飼いを憤ったあまりに自白供述に及んだという説も残っているから、陰惨なことおびただしい。

政治では、目的の高邁(こうまい)さと手段の卑俗さが乖離(かいり)する例は珍しくない。
政治家らは、時に忠実な同志を切り捨てる非情さを発揮してきた。現代の政治家も、自分を慕い
尊敬してきた側近を“使い捨ての駒”にするのは、私欲のためでなく、“大義親を滅す”ともいうべき
公の覚悟に立ったからだ、とあくまで正当化するのだろうか。


>自分の進言を退けた土佐藩参政の吉田東洋を開国・公武合体派の首魁(しゅかい)として
 同志に暗殺させた陰湿さに始まる

ただの暗殺ではないんですけどね。それじゃ井伊暗殺やら「大化の改新」ってどう理解するんだろう?
陰湿って言うより、以前にも書きましたが藩の反東洋派が結集した総意(保守派と組んだ)で
ある意味、唆されたとも取れるんですよ。
確かに東洋に比べて、武市らの考えが「料簡が狭い」ってのは認めます。
でも東洋は己が正しいと思ったら、皆が付いてくるって考えたのが甘かったんです。
藩の大部分を味方につけた半平太に負けた、人望のなさってのもあったんです・・・
それと呼応したように、長州でも久坂らが(結構強引に)長井雅樂を切腹させてますよね。
あまり表にでないけど、こっちも陰惨なことをしてる。
結局は血で染めた手段はやはりまずかったし、なければ容堂も死に追いやることもなかったはず。
でも世を動かしたのは確かだし、吉村虎太郎の挙兵も「陽性」とおっしゃる坂本龍馬の活動もなかったんですよ!
この比較自体がおかしい・・・
(関連記事 その1その2
(関連・龍馬伝感想 第五回/第六回/第八回/第十回/第十一回/第十二回/第十三回

>山内容堂が返り咲き、武市も捕縛され、やがて切腹を命じられた。彼は、容堂腹心の吉田東洋の
暗殺を否定したが、岡田以蔵の自白により罪状が確定したらしい。
一説に武市は、性根の据わらぬ以蔵の捕縛を知って、牢(ろう)役人を使って以蔵に毒を盛ったとさえ
言われる。
以蔵は、毒飼いを憤ったあまりに自白供述に及んだという説も残っているから、陰惨なことおびただしい。

この記事は単行本になってるんですけど、この人武市は「テロリスト」としか書いてないんですよね。
ほんまに信用しないでほしい!
ただダークな部分を書いているだけ。
「説」はあくまで説ですね。たぶん、司馬さんだけじゃないの・・・
大河の脚本もおかしいけど、以蔵が東洋の殺しを知っている訳ないの。
つかまって簡単にしゃべるような人物だったら刺客に選ばない!
ちなみに大河の今後の獄中シーンは史実と異なるそうなので、あくまでドラマで見てください。
あくまできれいな以蔵で終わらせたいようですから。

半平太らが捕らえられてからの取調べでは、それまではみんな頑として口を割らなかった。
しかし約半年後に以蔵が帰ってきた途端に白状をしてしまった。
「あほう」の手紙は実は以蔵が帰って、すぐに半平太が出したもの。
「我慢がきかない」その性格を知っていたからだ。。。
そこからの累を恐れて抹殺の案が出たのだ。
そして、その自白から以蔵を含む四人の打ち首が出た(罪状は主に井上佐一郎暗殺)
その他は半平太の切腹だけで済んだ(残りは永牢・お預けなど)
半平太の罪状は同志盟約、人心煽動、臣下の所分を失し粟田宮・三条・容堂への進言などで
あくまで政治犯として、些か無理やりな判決だったが
組織的な他のテロ(東洋暗殺も含めて)については自白を得ることができず罪状に問えなかった。

あと、そのころの勤王党の弾圧と言えば対馬藩や福岡藩(→記事その1その2)であるけど
このあたりは完全に政治犯扱いで、反対派はテロや殺人にかかわっていなくても
問答無用で大勢の人を斬首にしてます。
この所は強引な弾圧には決してしていない、土佐藩首脳の態度にも見るべきところはあるのではないでしょうか。
その一方での、二十三士の凄惨な最後はもう少し考えたいです・・・


最後に松岡司さんの「武市半平太伝」からの引用を

以蔵は剣の修業にはげんでいいたころの可愛い弟子だ。剣の先生である半平太にとって
天性のさえを見せる以蔵の剣技はいつも目を細めさせただろう(中略)
以蔵は読み書きくらいはできても、天下国家を論ずるような学問的素養はない。
本来、志士はみな日本の国家構想について一家言を持っている。
武士の節義さえも欠ける以蔵がどこまで同志について行けるか。結果は明らかだった。
非凡な剣技を持つだけに過ぎなかった以蔵は落伍し、訊問に対処する理念をもたぬ以蔵は
すぐに口を割った。
しかも獄ではいまだ深く追及を受けていない事案がある。以蔵と言えども秘密を知っている部分
は相当あり、これからも続くであろう拷問に耐え得ないのは自明だ。
同志の結束を保ち、党の瓦解を防ぐために、獄内外の同志間に抹殺の動きが生まれた。
不義者ゆえ、不出来の子供を殺すように首領の半平太が切り出さなければならないのは
さけることの出来ぬ手段だった。

これをかりに、半平太は以蔵を利用するだけ利用して捨てたなどと言うのは
時代の志士を冒涜する表現でしかならない。
以蔵と言えどもその志士の中にいた一人だ。
最初の白状で彼は「信」を失った。
恥を知り、先への不安があれば自ら、命を絶つべきだったのだ。
白状した同志を絶つのは何も以蔵一人ではない。
Commented by ゆずぽん at 2010-06-27 21:43 x
遅ればせながら、ただいま松岡 司先生著の
「武市半平太 月と影」を購入し読み始めたところです。
半平太は盟主として、他の同志のためにも
せざるを得なかった立場だったのでしょうね。
実はわたしも以蔵に対する「あほう」文章や
野根山二十三志の反乱に対する
「そんなことをするから烏合の衆と見られる・・・」などの内容の
手紙に「えっ!なんでそんな言い方する?」って
最初は驚いたんですが。。。
文のうわべだけ読んでいてはいけないと反省する日々です。
ちゃんと本を読破してから また考えようっと!(笑
Commented by enokama at 2010-06-29 22:57
>ゆずぽんさん
半平太本ってほんとうにないですからね!
松岡さんの文体や例え、言葉のタッチがとても気に入ってるので
本はだいぶ揃えて行ってます!

野根山の件は、自重した幡多の樋口真吉には評価した文面を
残していますね。

「あほう」の手紙にしても、後日批判の的になると思ったら
残さないはずですよね。
普通、都合のいいものだけ伝えればいいんだから・・・
by enokama | 2010-06-23 23:19 | 土佐藩 | Comments(2)