「龍馬伝」第二十一回~八一八政変と虎太郎が出ない
主導的な立場として、薩摩の高崎正風(猪太郎)を登場させてました。
ちょうど西郷さんは奄美のころですし「寺田屋騒動」後の薩摩は
藩父・島津久光の意もあって「公武合体論」を取っていました。
でも高崎って人はもっと冷静沈着で策士だったと思うんですが
やべっち久坂との対峙は中途半端に太った(実際はどうだったんだろう?)キャラだし
子供のけんかみたいな場面、なんか劇画ちっくで重みも感じませんでした。。。
まあ、わかりやすかった絵ではありましたけど・・・
三条さんはあの優雅な雰囲気で、うろたえる表情(目が泳いでる)がなんとも味がありました。
長州に落ちて行き、やがて大宰府で中岡慎太郎のボスとなります。
八・一八と言えば計画されていた大和行幸に合わせて、吉村虎太郎らが大和・五条にて挙兵(天誅組)
するんですが(→関連記事はこことこことここ)当たり前のようにスルーされてました。
もう虎太郎が出る機会はなくなってしまいました(泣)
土佐舞台なのに「四天王」の一人を完全無視するのか(怒)
半平太は相変わらず「わしらはまちがっちょらん」の連発が、逆に劣勢感を出してしまってます。
もっとうまく描けないもんか?
実際、平井・間崎らを失った後の半平太ですが、その後も堂々と容堂に意見を
何度も何度もぶつけてるんですよ。
しかし八・一八の政変でトドメを刺されてしまいます。
半平太拘束のシーンは何気ない夫婦の会話から、無情にも捕吏は連行しているのですが
実際の冨夫人の回顧話を使ってもよかったかなと思う・・・
龍馬は福井で横井小楠先生から「一人の存在って芥子粒のようなもの」ってことを学んできたようです。
この考証担当はちゃんと小楠先生の事を伝えてるのか?
いろいろあるやん「議会政治」「平和主義」や「言論による解決」って当たり前のように龍馬の代名詞
のように、いろんな作家が書きよること・・・それは、ほぼ小楠先生からの考えの流用なんですよ。
それに対して「一人の命も大事」ってこと(武市さんを助けるために土佐に帰る)を言いたかったのですよね?
武田勝先生も「武市は覚悟を決めちょる」そらそうよ。。。
半平太は、長州の連中に土佐から帰国命令が出たときに亡命も進められてるけど断ってるんや。
獄が始まってからも、拘束を逃れ攘夷を貫きたい勤王党志士たちの多くは藩を逃れて長州に行き
活躍の場を得た者も少なくありません。
大利鼎吉、中岡慎太郎、佐川の田中光顕、大橋慎三・・・
何を言わせ、どう行動させたかったのかが、さっぱりわかりません。
ラストは何気に新撰組が出てました。
どっかの掲示板で「私がお願いして出演が実現しました」って人がいましたが(自分で言うのもどうかと思うけど)
僕的には直接、龍馬と関係ないやんと思ってしまうわけで
絡みは「池田屋事件」と、大政奉還前後の後藤と近藤の交流ぐらいしか実際ないですよね。
だから、それ以外はフィクションになります。
それでまず最初に以蔵と絡みました・・・
でもファンに言いたいのは、出られるだけでもありがたいって思ってほしいの。
絶対「もの足らん」とか言ってくるような気がする。
実際にあった凄い面白いエピソード「梅屋敷事件」とか「五十人組」、吉村虎太郎にしたって
取り上げられてない現実があるんだから。。。。
また、中岡慎太郎も当初キャストに入っていなかった話もあるし(信じられないが)
舞台としては下関あたりは重要視されてなくって(実はかなり龍馬と関連深い地)このあたりも
NHKに談判して決まったこともあるそうです。
だから史実にはない、でも出してほしいってことだから、割り切ることもわかってほしいと思います。
行ったらこれも見逃さずに。
梼原へ行くんだったらサテライトの2Fもお立ち寄りを。
コメントありがとうございます!
高崎ですね~
通な人物出してくるなとは思ったんですが、わからんからデブにしてイメージつけとけって
単純な考えかもしれません(苦笑)・・・
ほんとは「梅屋敷事件」あたりから出して(高杉や周布も当然ですが)
もらえれば、尊攘派VS公武合体派の違いがわかったのではとも思うんですがね・・・
今、高崎は僕的にツボにはまってる人物なんで3回ぐらいに分けて記事を書く予定でいます!