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エノカマの旅の途中

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歴史秘話ヒストリア~吉田松陰

視聴率ランキングを見てたら、もう「龍馬伝」は20%切れになってきてるんですね。
去年のあの作品でも20はキープしていた(中盤の笹野秀吉がよかったんでしょう)のと違いは何なんだろう?
東洋・後藤がいる、武市・平井収二郎ら勤王党の活躍!
僕的には、これだけツボに嵌る(予定だった)大河はないんですが、やはり今まであまり知られていない人が
多くって地味な印象があるんでしょうか・・・
今週の勝麟太郎では、まさかそうカンフルにはならないでしょう。
やはり長州をお願いしますよ。周布政之助さんが酔っ払って(この人はこんな話が多い 苦笑)
山内容堂に対する暴言を吐いた「梅屋敷事件」って、高杉の振る舞いを見ても劇的で
中々面白いと思う。最後はいつも、いざこざの仲裁に入る春嶽公が長土の間を手打ちをさせるんですがね
(これで春嶽は薩土(継嗣問題で協力した)に続いて、長州にも借りを作らせたわけですv)
でも高杉が出る雰囲気ないしどうなんだろう・・・

NHKで言えば月曜の鶴瓶の番組に上野樹里が出てました。
それにしても普段もあんなしゃべり方なんかいな?
でも鶴瓶や出演の人らとは、なんか変にかみ合ってて面白かった(笑)
この出演、もちろん来年の大河もあるけど「のだめ」の最終章の映画の封切りもちょうどやんか・・・
しかもロケ地・大川だし。
なかなかしたたかに見えるけど、裏で計算があるとも週刊誌ネタになってました!
まあ今の民放はがグダグダだし、数字を気にしない奔放な番組作りはもうNHKしか期待できません。
ちゃんと受信料払ってますんでヨロシク!



ヒストリア、4月は新作が4本並びます。
今回は吉田松陰先生。。。やっぱり凄いや!

第一部は真冬の「東北遊学」
本編は肥後熊本の宮部鼎蔵先生(出会いの九州遊歴・平戸編はこちらこちら
とでしたが、実はもう一人江幡五郎と言う南部藩士も合流したようです。
南国育ち二人ではさすがに雪国は、ほんまに無茶でしょう。
松蔭もそうだけど、宮部さんはかなり年上でもう40歳前でした。この人も大した人物です!
出発は嘉永4年(1851)12月15日で翌年4月5日まで140日の大旅行。
水戸では会沢正志斎に会い、佐渡の鉱山夫や南部の馬飼いの過酷な現実と弘前藩の海防の無策振りも触れられていました。
もちろん庄内(酒田)にも立ち寄っています(港の見える日和山公園の「酒田に来た著名人」の中にも名前がありました)
実は庄内が天保国替えの危機の時の口実に「海防が成ってない」という文言があったとされます(事実、危機感を持ったのは遅い方だった)
だから国が安堵されてからは譜代と言う立場もあり(実際に異国船が日本海をうろうろした)財力に物を
言わせて防衛力を強化し、人材を育て(勝海舟門下も多い)東北諸藩髄一の軍備を誇るようになり
戊辰戦争時にも唯一真っ向から新政府軍に対抗できたわけです。
酒田の印象はどうだったんでしょうか。松蔭先生は記録残していないのかな・・・
「百聞は一見にしかず」この体験が、これからの松蔭のエネルギーとなって行くんですね。。。

宮部さんはのち長州に走り、八一八政変後の長州勢の形勢挽回を図って京都に潜入中
「池田屋事件」で新撰組の主要ターゲットとなり、暗殺されます。
のちに「京都の町に火を放ち、天子を奪い去る」との記録が出され、軽挙の士から町を守ったとして
新撰組の評判は上がったのですが、その証拠は古高の自白(とされる)以外なく一方的な謀殺だったと
見る向きもあります。
宮部さんの信条・行動・年齢経験から言って、そんな民意も得られないような計画などあったのだろうか。
僕も一般に語られる「新撰組正義説」には疑問を感じます。
同様に長州に逃れ、京にも再三上っていて古高とも交流のあった土佐浪士・中岡慎太郎は長州に
戻っていた時期で難を逃れています。

第二部は「海外密航」を図る。
金子君が一緒に出て、クローズアップされてうれしかったです!
「列強に対抗するには海外に渡り、技術を学ばなければならない」
失敗を恐れず、行動を起こす。下田で米艦に乗り込もうと何度も挑戦し乗船には成功するが
外交問題を恐れた米艦からは拒否された。
ただし二人の行動を見たペリーからは「日本の前途は可能性を秘めていて有望だ」と評価されます。

最後は藩の獄につながれるも、塾を開き多くの門弟を育てます。
高杉はボンですからね。やはり親は警戒するので夜中にこっそり通ったそうです。
そしてとうとう「討幕論」をぶちますが、門弟からも時期尚早などと批判が起きます。
「時勢がなんだ。機を逸する前に行動し、自分たちが時勢をつくるのだ」
当時の長州は公武合体論者・長井雅楽が藩政を握り、当然過激な松陰は警戒され
幕府の召喚命令が出ると江戸へ身柄を引き渡します
この時の長井の行動に怒り、半分私怨も入ってますが、のちに久坂玄瑞は弾劾を激しく行い
彼の出した建白の一部に、朝廷を誹謗する文言があると責め立て切腹に追い込みます。。。
そして尊皇攘夷の結果的には無謀ともいえる嵐となるのです。
高杉もいわゆる俗論派政権の時に、下関にわずかな人数で無謀とも言える挙兵をしますが
現実派の赤祢武人を押しのけてまでの行動が成功してしまいます。
公武合体との両方向にらみの薩摩も幕府との戦いに、土佐は上士でも異端の乾退助が兵を進めます。
死してからなお、その行動が世を動かす原動力になったんですね。

吉田松陰関連記事→こちら

Commented by 花衣悠希 at 2010-04-18 23:42 x
ヒストリア、私も見ました♪
上手くまとまっていて見やすかったです。

松陰先生の映画の方も今日ようやく見れまして、それも内容すごい良かったです☆ 機会がありましたらぜひぜひ見てみてください♪
Commented by enokama at 2010-04-20 00:08
> 花衣さん
ヒストリアよかったですね!
ほんま長州いいのに何で大河では、も一つなんだろう(泣)

>松陰先生の映画
仲間内や霊山の常連さんも、見たいって言ってる人多いんですけどね。
もう少し公開館も増やして欲しい!
by enokama | 2010-04-16 23:35 | 長州藩 | Comments(2)