北川村~慎太郎はいつも海を見ていた
(2006年7月)
(2007年9月 その1・その2)
烏ヶ森を望む
野川の集落あたりです。
下の説明書きにある北川氏ですが、戦国時代・長宗我部氏との戦が烏ヶ森南麓のこのあたりでありました。
結局は北川氏が負けてしまいます。
その討ち取られた兵の首を、奈半利川で洗ったところから首付け→久府付(くぶつけ)と言う地名が残っています。
しかし、のちに一族は新領主の山内家に忠誠を誓い、江戸時代も中岡家が転勤してくるまで北川郷で
大庄屋職を続けました。
野川口
約2.1キロを歩きます!
今のように川沿いの道ではなく、この山越えの道が北川郷への生活道路でした。
30分ほど登って、烏ヶ森からの眺望
(クリックすると拡大します)
手前に見えるのが、慎太郎が幼い時から通った野友の集落で
奈半利川を越えた、海沿いの集落が田野学館のあった田野。
龍馬が海(海援隊)慎太郎が山(陸援隊)のイメージですが
海が見えたのは意外でちょっと、感動しました。。。
幕末の頃、この土佐東部海岸あたりでも外国船の来航や漂着と言った事例もあったと言います。
慎太郎は毎日見るこの景色、海の向こうへの気持ちをいろいろと膨らませていたかもしれません。。。
洋行も慎太郎の夢でしたが、実現することができませんでした。
あと1回ぐらい続く・・・