下関を歩く~高杉晋作と奇兵隊関連の史跡
(関連記事は→こちら)
元治元年(1864年)12月25日深夜。
長府・功山寺の五卿に決意を述べた、高杉晋作を始めとする遊撃隊・力士隊ら約80人は
16日未明、下関新地にあった長州藩(萩本藩)の出先機関である会所を襲撃し決起する。
萩藩新地会所跡
こんな店も!
了円寺。
新地会所襲撃後に決起勢がたてこもった寺(上新地町)
(のちに隊員が増えた際、手狭になったため東光寺(豊前田町)に移動する)
白石正一郎邸跡(奇兵隊結成の地)
白石は廻船業を中心とした豪商で、高杉ら維新志士たちを物心両面から支えたことで知られる。
薩摩の西郷隆盛とは安政4年(1857)ごろからの古い付き合いがあり、薩長貿易の可能性も探っており
白石がそのルートを開拓したこともあった。
幕末当時は海に面した門(浜門)があり、直接船付けすることができ、実に400人を越える志士が
出入りしたと言う。
奇兵隊は外国船への攘夷砲撃が始まったころの文久3年(1863)6月8日、この地で結成された。
「奇兵隊とは惣奉行の正兵に対して名づく。けだしもっぱら奇をこととするにあらず、奇兵中また正ある奇あるなり」
正規の藩士「正」に対する、非正規兵「奇」の登用により身分にこだわらない隊とされた。
その通り、結成と同時に白石本人と弟・廉作、また多くの町人仲間が加わった。
6月13日に阿弥陀寺(現・赤間神宮の地)及び 隣接の極楽寺に屯所が設けられた。
大歳神社の白石正一郎寄進(文久2年)の鳥居