長府を訪ねる~西郷と桂
拠点とした活動に入る。
またこれら一連の交渉により、慎太郎と西郷・吉井と言った薩摩人脈と言うべく同志的関係ができ
京都でも薩摩藩邸を利用した、さらに幅広い志士活動となり「薩長同盟」へとつながることとなった。
(ただし、このころはまだ長州の側に立った代弁者にすぎなかったかもしれない)
一方、五卿の首領格・三条実美の慎太郎に対する信任も、とても厚いものとなった。
こちらも、のちの岩倉具視との提携につながって行く・・・
1月30日。五卿付きの土方楠左衛門と慎太郎は、三条より上京する薩摩の大久保・吉井・税所篤
に同行しての出張を命じられる。
表面的には五卿の親族らへの安否の報告が目的だったが、勤王派の同志公卿や各藩志士との
交流・情報収集の命も当然あっただろう。
2月7日、慎太郎・土方・吉井は下関に入り、勤王派に多大な献金・援助を惜しまず、高杉晋作とも
親しかった商人・白石正一郎宅に入る。
長府藩からは直目付・井上(時田)少輔、報国隊長・原田隼二らも加わり、まだ俗論派の握る本藩よりも
前向きであって、むしろ長府側から盛んに薩長提携を説いた。
白石も元々薩摩の用達でもあり、以前から西郷とも面識があったので無論賛成であった。