エノカマの旅の途中

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「龍馬伝」 鞆を訪ねる~鞆に来た人たち

鞆は寛文12年(1862)に河村瑞賢が西周り航路を整備してから、北前船などの商船も立寄るようになり
商家が立ち並び、隆盛をきわめた。
(庄内・酒田に銅像があったように、河村瑞賢と言う人は江戸時代の港には必ず話が出てきますね。
また、機会があれば調べたいです)
また、鎖国の時代の「朝鮮通信使」「長崎・オランダ商館長の江戸参府」も必ず、ここに立ち寄り
海外の文化も入ってきた。

福禅寺(向こうに見えるのも、古刹の円福寺)
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福禅寺・対潮楼と海の景色
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福禅寺は創建950年頃と言う古刹で、隣接する書院造りの「対潮楼」は1690年(元禄年間)ごろの建立で
当時、朝鮮通信使の高官の宿舎として使われた。
眼前に海が広がる眺めは素晴らしく、朝鮮高官による「日東第一形勝」の額も残されている。
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芭蕉句碑(円福寺)
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福禅寺から一旦谷に下りて、また登るような位置にあるのが円福寺。
その昔は島になっていて、村上水軍の大可島(だいがしま)城があった。
このあたりからの景色もいいです。
江戸時代以降は、寺域になり「いろは丸事件」の際は紀州の宿舎ともなった。

太田家住宅(国重文)・・・写真撮影はOKでした。
江戸時代は鞆名産の「保命酒醸造元」(→リンク)中村家の住宅だった所。
朝鮮通信使を始め、参勤交代時等の西国大名の宿舎ともなり、幕末には八一八政変後に
長州に落ちる途中の「七卿」も宿泊している。
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江戸時代は「保命酒」醸造を一手に引き受けていたが明治以後は廃業し、後を継いだ杜氏たち
が分かれて現在、4軒の蔵元が鞆に残っている。
建屋は母屋・茶室・酒蔵と往時の規模で修復され、2001年から一般公開されている。
前述の通り、朝鮮・ヨーロッパの影響も受け日本離れした意匠も印象的でした。
また倉なども、美観や実用性を兼ね備えた良く考えられた作りで、今でも建築家の視察も多い。
多客時期でなければ、係りの人に案内いただけます。
何時間でも居たいぐらいの興味深い建築でした!

お風呂・・・海外の影響が見られます!
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細かい所、凝ってるでしょう!
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続く・・・
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Commented by わだん at 2009-06-24 21:55 x
おお~対潮楼・・・・
眺めいいですよね~。1回しか行ったことないけどwww
Commented by enokama at 2009-06-24 23:30
>わだんさん
対潮楼よかったです!
太田家住宅も、とても見所が多かったです。
Commented by ji5isl at 2009-06-25 21:55
写欲がムラムラとして来ました (^^ゞ
Commented by enokama at 2009-06-28 23:20
>ji5islさん
何時間いても、あきないと思います!
Commented by ゆずぽん at 2009-07-12 10:15 x
こうして 自分では行けない箇所、景色、その歴史背景などを
みせて頂けるのは ほんとうにありがたいものです。。。
七卿落ちの途中に宿したお寺・・・じつに興味深いです。
そして、酒蔵・茶室見学・・・いいですね~。
by enokama | 2009-06-24 21:33 | 歴史連載 | Comments(5)