中岡慎太郎の五色豆と土佐藩白川屋敷(陸援隊屯所)跡
先週の土曜日、京都に行った時に寄ってきました。
三条大橋西詰「船はしや」
(説明書きに注目。「クリック」で拡大します)
すごく、香りがよくて絶品でした!
次回は「柚子香」だけで詰めてもらうようにします(笑→無理っぽい)
場所は左京区東白川の京大農学部構内で、東大路通百万遍の交差点から東へ向い
今出川通りの北側になります(お地蔵さんが目印。所縁は知りません・・・)
よく聞かれるんですが、石碑は建っていません・・・
これが、まだ世間の中岡慎太郎に対する認知度なのかな(泣)
もともとは土佐の手狭になった(兵を置くことは想定されてなかった)従来の藩邸に加えた第二藩邸で建てられた施設だけど
確かに藩邸としては佐佐木高行の記録にあるように都心から離れて過ぎているし何を考えてるんや
ここに浪士達の保護(藩邸内は治外法権になるため)を図り、いざの時の遊軍としても備えるべく「陸援隊」が設置されたのが慶応三年(1867)六月。
隊長はこの頃、石川からさらに「横山勘蔵」の変名を使っていた中岡慎太郎、田中顕助・大橋慎三・香川敬三と言った同志が付き、この名を見ても巨魁・岩倉具視の意向が十分働いていたと言える。
そして薩摩の軍官による調練も行われた。
土佐藩(有志ではあるが)公認の団体となったのだが、完全に内情は対在京会桑勢力を視野に入れた隊であり、両援隊の設置に動いた(統合して翔天隊とする構想もあった)福岡孝弟・佐佐木三四郎(高行)の不退転の決意も感じられる。
一方、変名している事からもわかるように、強硬な討幕論者とされる慎太郎は「壬生浪士」(新撰組)からの探索も厳しく、事実「陸援隊」にも新撰組のスパイが入っていた。
(以下、平尾道雄「新撰組史録」より)
白川村の土佐藩邸に密偵として入りこんでいた村山謙吉(長州人として潜入)から謀報が入った。
「薩長及び十津川郷士らと連結して討幕挙兵の機会を待っており、京都守護職邸を攻撃する手筈である」(会津藩文書「在京有司報告書」慶応3年10月10日付けより)
薩人が二条城、守護職屋敷へは土州浪士および十津川郷士、新撰組下宿には浮浪の徒が一時に襲撃を図る計画。他、伊東甲子太郎も要注意人物とされる。
やっぱり、計画はあったんだ・・・
この報告後、新撰組・見廻組、桑名所司代・会津守護職は討幕派への警戒をさらに強めるとある。
この経緯で、近江屋事件の暗殺犯が「中岡慎太郎は知らない」ことがあるのだろうか?
どう考えても要注意人物である。
藩邸扱いの白川屯所に入れる慎太郎はともかく(不便な場所なので、じっとはできなかっただろうが)
龍馬も藩邸での保護が必要だっただろう。
しかし、京都詰の土佐藩士は佐幕派も少なからずおり(藩士の暴走を防ぐため、容堂があえて置いたともいわれる)
それは叶わなかった・・・
浪士の時は京都でも慎太郎は長州藩邸、龍馬は薩摩藩邸を根城にしていた。
しかし藩に復籍(近年の研究では正式な復帰には至ってなかったともいう説もある)して藩邸に入れるのは当然のはずで、正式な藩士が他藩の厄介になるのはおかしい話となり、逆に藩への復帰が足かせとなった形になってしまった。
近江屋の暗殺後、西郷隆盛は龍馬の保護を怠った後藤象二郎をはげしく叱責したと伝わる。
陸援隊の京都守護職邸襲撃が実現した時の想定ルート・・・少し歩いて見る。
5分ほど歩いて、吉田神社の鳥居
一山越えると、こんなのどかな景色(さっきの所から10分ほど。向こうの丘に真如堂が見える)
10分弱で真如堂。秋は紅葉がきれいだろうな・・・
そして、、、黒谷(会津本陣)
後の写真は、電池が切れてしまった・・・
この距離感、なんか意味ありげな感じがします。
のちの慎太郎の運命、香川らによる近藤勇への厳刑・・・
柚子香ですか、そんな話があるんですねー、是非行って見た
い!!!
屯所の治外法権、薩摩の軍官による調練、勉強になります。
会津本陣は墓地の辺りにあったんですか?
ところで、高知駅前に”龍馬伝”にちなんだコミュニティ
(おそらく案内用)を2億の予算で作るそうです。各市町村が
どんな動き(PR)するか個人的に興味深い所です。と言って
もこれと言った史跡どころか観光地にもなってないところが
ほとんどですが(><)
・・・もったいないんですよね、超有名な龍馬の足跡だけに。
「陸援隊屯所跡」見つからないって言うより、何もないんですから
わからないですよね(苦笑)
僕もこのへんだって言う、写真手がかりに行ってきました・・・
石碑建てるの「高知県人会」にでも言ったら動いてくれるのかな?
でも、あんな銅像にしてしまうぐらいだからね。。。
たぶん「龍馬伝」の龍馬の土佐がらみは、脱藩までの10回ぐらい
で終わり(平井収二郎・加尾が絡むあたり)なんで
今から新しく建物を建てるのもどうかなって思うんですが・・・
「脱藩の道」も整備は完璧に終わってますよね?
長崎は話の半分ぐらいの舞台になるようですし、後藤象二郎や
岩崎弥太郎も積極的にPRしようとしてます。
高知での後藤・岩崎はどうなってるんでしょうね・・・
龍馬一辺倒じゃなく、もっといい人材もいるんだから彼らを生かすよう
な施策、取れたらいいなと思います。
中岡慎太郎の大河絡みは、いろいろ話聞いても出てこないですね 。
あったら「龍馬を越えた男 中岡慎太郎」って誰かが出すと思います(笑)
石碑は龍馬関連だったら、喜んで前に建てて下さいってとこもあるようで
高知でも京都でも、ちょっと所縁のある場所はくまなく建ってるんですけどね・・・
石碑建ててる人も知ってるけど、その場で慎太郎の話しても、ちゃんと
聞いてくれる雰囲気にならないし(苦笑)
なんぼあったら建つんでしょうね。
一人1万円ずつ、50人ぐらい集めたら十分かな・・・
あとは大学相手なのが交渉しやすいのが、逆に難しいのか?
柴君の話、聞いてたつもりだったのに頭から抜けてました(苦笑)
常楽寺@麻田公輔は、しっかりメモってたんですが(アレ?)
で、結局わからずじまいでした・・・
でも今日は東白川の屯所から(仮想)敵の偵察にいったようなもん
ですから(笑)こんな気持での墓参も失礼だったかもしれません。。。
黒谷には何度も行ってるんですが、いつもと違った経路で入るのも
(真如堂も西から入ったし)また違った発見でした!
会津からすれば、仲間は長崎にいる龍馬より、拠点の裏手から牽制してくる中岡と陸援隊のほうが目障りでせうね。