エノカマの旅の途中

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「龍馬伝」 長崎を訪ねる  その3

2日目は龍馬ゆかりの地を訪ねます!
風頭公園→亀山社中→<龍馬通り>→シーボルト記念館(鳴滝塾跡)と歩きます。。。

このコースを路面電車から降りて、風頭山に登っていく行程だと、ほんと「山登り」になって(結構急坂)
しまうのですが、今日はバスで風頭の山上まで連れて行ってもらって(路線バスも入っている)
ひたすら下りて行く一方ので、比較的楽に回れます!

港が見下ろせる
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昨日から散策している所は、ほとんど寺町でお墓をたくさん見ることになったんですが
長崎は、写真の様な中国っぽい異国風の物や(やや派手さがある)墓標の文字が赤かったり
墓の周りの仕切りの入り口に、家に入るような苗字を書いた「表札」があったり、特徴がありました。
このあたりには上野彦馬の墓もありました。。。



銅像(平成元年建立)
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司馬遼太郎・文学碑
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朝9時過ぎの撮影では逆光気味になるので、ご注意ください!
ここの龍馬像が「一番、男前や」って声が多かったです(笑)

龍馬通り
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通りの各所に隊士(陸奥とか近藤も、もちろんありました)の看板があって、見ていて楽しいです!

中島作太郎(信行)は、龍馬の死後の海援隊分裂後(主に塩飽諸島組と長崎組)は陸援隊を中心
とした高野山挙兵に参加し(海陸両援隊に関係した珍しい例)
維新後は土佐郷士出身者としては数少ない、板垣退助の片腕として「自由民権運動」に参加。
議会開設時には、その代表として衆議院議長にまでなった人物です。


亀山の「社中」跡
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ながらく個人所有者の方が当時の建物を維持管理しながら、見学もさせていただいてたわけですが
老朽化もあるでしょうし、維持も困難となってしばらく閉鎖されています。
現在、少し離れた場所に展示物は移されております(入場無料・グッズ等の販売多数あり)
そして結果的に長崎市が買い取って現在、修復工事が進められています。。。
今年8月には再開されるそうです!
また、龍馬のよくもたれていた柱も見てみたいです。

この場所は久しぶりに来るんですが、司馬遼太郎の小説通り、昔は海がばっちり見えた記憶がある
んですがね・・・
マンションが増えて見難くなった感じがします。


勝海舟は江戸・幕府の軍艦操練所に対し、関西の局として神戸にも海軍操練所の設置を建言。
この意見を幕府は入れ、文久3年(1863)4月に建設が決定される。
その一員には、すでに海舟門下となっていた坂本龍馬ら数多くの浪人も含まれた。。。
翌元治元年(1864)2月には、ほぼ施設は完成し、その春には修学生の募集も始まるが
6月に起こった「池田屋事件」、7月の「禁門の変」に多くの塾生が巻き込まれたのも問題視され
勝は罷免、年内にほぼ閉鎖状態となってしまった(正式閉鎖は翌年3月)

そこで勝の周旋もあり、行き場のなくなった浪士たちの一括保護に乗り出したのが
「薩英戦争」をふまえた海軍増強や、さらなる積極的な交易策を進めていた薩摩藩だった。
航海術に長けた彼らを必要としての意味もあった。
慶応元年(1865)に入ると薩摩に彼らは入り、その年の6月に家老・小松帯刀は長崎にて
豪商・小曽根家(のち海援隊の最大の支援者となる)に斡旋依頼していた亀山の住宅を借り
そこへ、旧操練生達を連れて行き「社中」が結成される。
給金は薩摩から支払われ、その場所は長崎街道や港も一望できる山腹にあった。

このあたりは亀山窯と呼ばれた焼き物で知られた地で、その跡も残っています・・・
「亀山社中」は正式な名ではなく、亀山の地にあった「社中」と言った方が正しいそうです。

この地に構えた彼らは早速、事業に乗り出す。
7月、このころ窮地にあった長州だったが、土佐浪士の土方久元・中岡慎太郎、そして龍馬の奔走
もあって「薩長融和」の気運が盛り上がってきていた。
そして、伊藤俊輔・井上聞多が長崎に入ってくる。
用件は「薩摩名義」で長州の武器購入を図りたい・・・「社中」メンバーは、武器商人でもあった
グラバーとの仲介に乗り出す。
この一件で少し停滞気味だった「薩長同盟」構想が一気に加速するのだ。
この地から彼らの活躍が始まる・・・


肝心の龍馬の動きを忘れてました・・・
実は神戸以後、半年ほどの行動は不明とする史料が多いです。
このあたりの動きを空想するのも「龍馬」の著作を書く人の腕の見せ所でしょうか。
洋行してたと考えるのも楽しいですね!

中岡慎太郎とは、慶応元年(1865)2月に京都の薩摩藩邸で接触しています。
動きつつあった「薩長融和」についての話し合いは当然、もたれたでしょう。
そして、5月に突如として下関に現れます(西郷のすっぽかしで、木戸がヘソを曲げたころ)
ここからの働きはよく知られたことですね。。。

つづく・・・
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Commented by ji5isl at 2009-06-09 01:30
社中ですねー。外観くらいは全貌できるのでしょうか。
行きたいなぁ、いつになることやら(><)
Commented by enokama at 2009-06-10 21:12
>ji5islさん
数少ない当時の建物ですからね!
完成が楽しみです。
Commented by ゆずぽん at 2009-06-15 21:54 x
行きたい!行きたい!いきた~~い!
Commented by enokama at 2009-06-16 06:51
>ゆずぽんさん
「社中跡」は当時の形に忠実に復元するようなので、また再開楽しみです!
あのあたり散策するだけでも楽しいですよ。
by enokama | 2009-06-08 23:11 | 歴史連載 | Comments(4)