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エノカマの旅の途中

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奄美の西郷さんと、ヒストリア「江藤新平」

この月曜日のNHK「鶴瓶の家族に乾杯」は、奄美大島・龍郷町が舞台で
西郷隆盛が錦江湾で、僧・月照と入水を図ったのち蘇生し、潜居していた住宅が紹介されていた。
安政6年(1859)1月から(この年の10月に盟友の橋本左内が処刑されている)
文久2年(1862)1月までの約3年間の奄美生活で、島妻・愛加那を娶り子供も二人授かっている。

初めて映像で見ましたが、不自由な離島生活でもう少し質素な住宅かなと思ってましたが
はるかに立派な住宅に思えました。
これはもう奄美生活も3年たち、西郷さんもすっかり馴染んだころ、藩からの召還命令も当分ないとふんで
文久元年(1861)12月に、島の人たちの協力で(奄美の人に聞きましたが、西郷さんは島の不正役人を
糾弾したり、村の子供たちにも教育を行ったので、鹿児島以上に神様の様に尊敬されているそうです)
立派な家を建てて、ちょうどその新築祝いをしていた時に「召還命令」が来ました。
年が明けてほどなく薩摩本国に戻ってますから、あの家にはわずかしか住んでいないんですね。

また、島妻は本国には連れて帰れない決まりになっていたので離れ離れになってしまうのです。
のちに一度、妻子とは再会し、維新後には二人の子供も西郷さんは引き取っていて、息子・菊次郎は
のちに京都市長も務めるようになります(だから、菊次郎の写真が飾ってありました)
島に残った愛加那は番組にもありましたが、親類から養子をもらって、その後もあの家に住み続けたのです。
だから、島には西郷さんの子孫は残っていないのです。

やっぱりバスで来る団体もあるんですね。。。
確かやせた西郷さんの銅像もどこかにあるとも(のちの島流しされた徳之島かもしれませんが)
聞くのでまた、機会があればぜひ行ってみたいと思います。

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楽しみにしていた、今日のヒストリアは江藤新平でした。
「裁判員制度」もいよいよ始まるので、それに合わしたテーマでしょうね。

あまりにも、前近代的な裁判制度を改め(拷問をしない、磔等を禁止)僅かの間に新しい裁判を民衆に
定着させたのは(まだ人材が育っていないので、裁判官や弁護人も素人ってことはあった)
画期的なことだったでしょうね。
(このあたり、どういった所から江藤が学んだのかはまた調べてみたい。番組中では自身の暗殺未遂
事件の犯人が、弁明なしで処刑された経緯もあったそうだ)
裁判の公正さを証明させるため、新聞記者の取材もOK、被告人の弁明など「人民の権利を保障すること」
このあたりの先進性は、飛躍しすぎるぐらい革命的なものなので、周りとの軋轢はやはり起こるでしょうね。

そして、その司直の手は「不正役人の摘発」を民衆にも認める法令を出します!
そこで、網にかかったのは聞多こと長州出身・井上馨・・・
今日のNHKはこれでもか、っていうぐらい長州の連中、攻めてましたね(笑)子孫の人、見てたら怒るで・・・
それの方が番組的にはわかりやすいのかもしれませんが(ある意味、痛快でもあったけど 笑)
「所郁太郎」の記事で、僕は聞多の批判は控えめにしてたんですが、やっぱりひどいですね(苦笑)
この「尾去沢鉱山」の件(村井家の執念もすごいです)以外も、悪事はなんぼでもあるし。
ほんで、30円(今の300万円)の罰金だけで、鉱山は我の物。

国の富強の元は国民の安堵なり。
民法の遵守で国民の位置を正すことは、政府を信頼することで国民も仕事に励み、富が増えて
税収も伸び産業・教育・軍備も振興できる(法治主義)

江藤の上記の主張も、その後大蔵卿・井上馨として司法省の予算も半減する仕打ち・・・
木戸も、ねちねちした手紙書くなよ。。。
やっぱり、長・・・  西郷さんもあきれるはずです。
慎太郎もこの状況は嘆いてたでしょう。命がけでいた長州の連中がこんな体たらくなんですから・・・

後は大久保の謀略に、江藤は嵌って行きます。
そのあたりは、司馬遼太郎の「歳月」に詳しいです。。。司馬さんの怒りが爆発してます!
(まあ、当然の感情になりますが)
最後、捕らえられたさいの「最後の手紙」が紹介されてました。
裁判制度で「弁明の機会」を保障したのに、自身は結果できなかったのですからね・・・
改めて数奇な運命をたどった人とも言えますが、後の世に残した物も大きかったでしょうと言いたいです。

でも、悪が引き続き権力を握りつづけたのは、なんか納得できない・・・

(5月21日 追記)
いよいよ「裁判員制度」始まりました!
あいかわらずマスコミは批判しかしませんが、変革の時は前向きにいい方向に考えないと何でも
うまく行かないです。
「陪審員法」ってのがまだあって長年、停止状態であったものを復活する形だとは知りませんでした。
今までの裁判制度で、問題点があったからこその変更です。
何年も前から議論・準備してきたことなのに、この後に及んで痛烈に批判行動する人たちがいますが
いつも思うけど、なんでもっと早くから行動して提言できなかったのと思います。
とりあえずスタートして試すこと、そしてダメな部分は改め、また定着するようにいい方向に進んで行って
ほしいと思います。
Commented by ji5isl at 2009-05-21 09:13
江藤新平の改革推進はすごいですね、あそこまでやられた方とは
思いませんでした。長州の連中はひどいですね。
何のための明治維新だったか。
しかし、なぜに梟首されたのかよくわかりませんでした。
判決を下したのが元土佐勤王党、河野敏鎌・・・。
Commented by ぽん助 at 2009-05-21 12:31 x
江藤やるって気にしてたのに結局Nステーション見てて見逃してしまった(泣)
まあ聞多といい山縣といい長州系は金に汚れすぎやね。これも地域性だからでしょうか。
Commented by enokama at 2009-05-21 21:33
>ji5islさん
まあ大分、大げさに長州の連中の悪ぶりを紹介してたのかな・・・と思いたいですが(苦笑)
「征韓論」(とのレッテルを押し付けた)の政変も、まだ良識のある人
たちを追い落とすためだけの勢力争い・・・
そして下野した人物を挑発して反乱を起こすように仕向けて
前原一誠や江藤らの首を刎ねるんです。

「梟首」は江藤らの整備した法典にはありません。
たしか中国にあった法典を都合のいいように解釈して、合法のように喧伝したと思います。
それは河野敏鎌の仕事でした・・
また「佐賀の乱」の取調べは禁止されたはずの、拷問が行われています。
江藤への露骨な当て付けですね。
ほんと「人間の尊厳」などとこにもありません。

「西南戦争」の後のターゲットは士族に変わって「民権派」になりますが
そこでも長州閥(品川弥二郎ら)は卑怯な手を使いつづけます。

やっと原敬あたりで、議会政治も定着しますがまだまだ長い月日が必要でした

Commented by enokama at 2009-05-21 21:41
>ぽん助さん
まあ公私の区別をつけないのも、悪しき癖だと思いますがね。
山縣もいっぱい、いい庭付きの別荘持ってますね・・・
大阪だったら再放送2、3回あると思うんで、また見てください!
Commented by わだん at 2009-05-22 22:33 x
あっという間に金曜なんで、必殺仕事人は見ましたよ☆

鹿児島でさえ「せごどんリスペクト」すごいのに奄美はもっとリスペクトしてはるんですねぇ~。
奄美大島っていうと、落花生かなぁ・・・・ロケットかなぁ・・・
Commented by enokama at 2009-05-23 10:12
>わだんさん
奄美出身の人は、特に歴史に興味がありそうな人じゃなかったんですけど
普通に「みんな尊敬してる」って言ってました・・・

この件については本文に、過去記事も追加しておきます
by enokama | 2009-05-20 23:55 | 歴史全般 | Comments(6)