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エノカマの旅の途中

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旅と歴史と競馬のお話をします

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前回見た感想から以後も、山崎貴監督や出演者がたびたび登壇して映画の裏話をしたり
相変わらず神木隆之介と浜辺美波が絶妙なコンビネーションで共演したり(紅白もある意味すごかったね)
(撮影が先だった)映画の公開が朝ドラの一月後と確定した後、監督が主演二人に「らんまんロス」にする
ように頑張れと言った(朝ドラが「ち〇〇〇〇ん」みたいに外れにならなくって良かった)とか
また今年に入ってから「モノクロ版」があるという知らせが動画に上がってきたので、もう一度見てきました。

モノクロでどう違ってくるのか?実際に感じ方は違ったものでありました。
ゴジラ-1.0/C(モノクロ版)_f0010195_02083905.jpeg


ネタバレ含みます>>
# by enokama | 2024-01-13 00:29 | 書籍・ライブ・映画 | Comments(0)

能登半島で大きな地震

新年早々は仕事だったんですが、本当に京都の職場でも体を捻られるような大きな揺れを感じました。
伝えられた震度4以上に感じました。
やはり日本は災害多発の時期にきているようで(幕末期も大きな震災が相次いだように)備えもきちんとしなければと思います。
災害に遭われた方にはお見舞いを申し上げます。

また政府の初動が悪いだの、羽田空港での海保機の事故にしろ
誰が悪い、犯人捜しと真偽疑わしいようなネット情報や報道もあいかわらず多いようです。
総理の視察時期が遅いとか、一方で早くに入った著名人が現地の救援活動の邪魔になっているという
批判は神戸淡路大震災でも言われたことであり、そのあたりも見極めないといけませんね。
余震の怖さも僕も実感したことで、安全に活動していただければと思っています。

能登での消息不明の方が多いのが輪島の町野や門前といった地域。
僕も仕事で二回行ったんだけど、冬は波の花が見られるような地域で道も海岸線沿いの一本しかないような場所なので
崖崩れや波に洗われて道が途切れて孤立して、中々たどり着けないということが見られるようです。
船で近づこうとも漂流物が多くって危険で、ホーバークラフトも使った映像も流れましたね。

災害救助もその限られた道に車が集中するのでたどり着けないという面もあり
人員も多くは派遣できずにいますが、近年は災害が多くって(災害多発期に入った)
神戸の震災から積み重ねてたノウハウができてきたようで
政府だったり石川県の対応は何も不備はないはずですが、地理的な面もあって行き届かないのでしょう。

ボランティアのこともよくいわれますが、今の厳しい季節や状況では素人が行くことはないでしょう。
我々にとっては無理な自粛をせず普通に経済を回して、もう少し落ち着けば金沢あたりに行き
石川県のお金を落とすことで貢献すべきでしょう。
一方で間違っても「復興増税」とかいう愚かな考えには反対せねばなりません。
デマや無理筋な批判に惑わされずに、過去の体験にも学ばないと。





# by enokama | 2024-01-07 11:15 | 総合 | Comments(0)
原作が話題になっていて、劇場でもヒットしている作品を見てきました。
題材的に観客は年配の方も多かったけど、原作を読む層の女子学生も多かったように思えました。




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# by enokama | 2023-12-27 23:55 | 書籍・ライブ・映画 | Comments(0)
鳥取藩士・奥田万次郎についてこちらで書いてますが、墓所については未訪でありました。
酒井忠次の墓所を確認した際の程近くに「因藩 奥田萬次郎」その場所を見つけることができました。
知恩院にある鳥取藩士の墓_f0010195_18004488.jpeg


もっと見る>>
# by enokama | 2023-12-17 17:55 | 西日本諸藩 | Comments(0)
庄内藩に興味を持ち出して十五年ほどになるでしょうか。
なんとか近年、ようやく庄内藩に注目される場面も増えてきたように思うし
歴史関係の知り合いにも紹介していって周知に努め続けております!
今回はBSの磯田さんの番組で地上波(→感想)に続いて「幕末最強!庄内藩」の特集をやっていました。

内容は致道館の教育(徂徠学)から三方領地替(夢の浮橋)本間家の財力と前よりも踏み込んだ内容になっていました。
徂徠学に関しては磯田さんが問題を解決できる人物を育てられるとして、特に優れた経済や軍事の専門家が出やすいとの説明はわかありやすいものでした。
FBでも指摘していただいたのですが、自学自習の場面で紹介された絵画は副島種臣が明治二十四年に来庄し致道館にて酒井忠篤・忠宝も参加した講義の場面なので、出す物を間違えているのではないでしょうか(再放送でも差し換えはなし)
釣りを武士道として奨励するのも特色ですね。致道博物館の釣り竿のコレクションはぜひ見ていただきたいものです。
本間マネーや民兵が四割もいたあたりは、三方領地替反対運動以来の流れもあったでしょうか。
兵制改革も進み、戦術も備えイギリス式に統一されていた。
本間家は武器商人スネルから、元込銃ら武器弾薬を購入する際に三万両以上(二十億円!)払っていた。

ただ庄内の登場人物がほぼ酒井玄蕃のみで(南洲神社の菅実秀と西郷の像も菅が見えないように撮っていた 苦笑)
叔父右京の切腹や大山庄大夫のことにも(庄内藩は徹底抗戦に一枚岩で決したのではない)せっかくだからもう少し踏み込んでほしかったね。
ただ玄蕃の書簡や記録類がたくさん紹介されていて、あれだけ慶喜をディス(慶応四年一月の書簡で「馬鹿将軍!の記述)っているとは知らなかったですね。
庄内藩中心の薩摩藩邸焼き討ちはあえて挑発に乗ることで(菅実秀と翻意にしていた)小栗忠順が全面的な新政府軍との戦いに持ち込みたいとの思い(勝算もあった)
それが慶喜の恭順で無くなってしまったことも、江戸警備に当たっていた庄内藩士たちには苦々しい思いを代弁したのかもしれません。
徹底抗戦に至る経緯は慶応三年九月に勤王派(大山庄大夫ら)が粛清されてしまったことや、近年の本間勝喜氏の研究もあります。

まず最初に新庄を攻めた場面がありました。
玄蕃は「この戦いに敗れれば、国の存亡の危機。退くものは斬らん」と覚悟を示しています。
表に立った新庄藩も当初一緒に戦うとして庄内藩から武器をもらっていたのに、一転新政府軍についてしまってそこを攻められて負けてしまったのです。
戦術としては先に相手に銃を撃たせた上で陣形を把握して、そこから背後に回り込んで攻撃するものでした。
庄内藩は落とした領地の民政がよかったことも紹介されました。

選択の場面は孤軍となっても「恭順するかしないのか」この時点では戦地は藩の外で領内はほどんど攻められていない状態であり
いくら冬がきて地勢的に有利としても、引き続き戦うことで焦土になってしまうことを避けるべくの藩主の選択だったと思います。
そして黒田西郷(順番合ってた)の話から、南洲神社が酒田にもある話。
玄蕃が清国に行った話も、薩摩とつながりができた大久保利通の命ですね。
感想もちらほら見たけど「知らなかった」っていう人も多かったようだし、取り上げてくれたのはうれしかったです。


ただ一番の不満はスタジオゲストがあんなのしかいないのかってレベルで
山村竜也は庄内藩のことは全く知らないのがまるわかりで直接触れずに、会津に関連づけたあたりのコメントも関係ないやんってことだし
もう一人の薩長ディスり(「偽りの明治維新?革命」って本を出してるらしい)の大好物な人はやっぱりひねくれてて賛同できないし
磯田さんも忠次や家康の話ねじ込んでくるしずれてるし
ほんまに庄内藩のことを知る幕末研究者っていないのかなと感じました。
まだ薩摩関連の研究者の方に出てもらって(家近先生は西郷の著書で庄内に触れてるしね)
薩摩と庄内の武士道など語ってもらったほうがわかりやすかったのではないかと思います。
佐藤賢一さんは地元出身者ならではのコメント(酒田と鶴岡の関係や、庄内人が忠次が庄内藩祖だとは知らない人も多かった)で
酒井玄蕃の活躍に関してはどうしても近隣の新庄や秋田での話であり、紹介しずらい面もあって今日まであまり知られなかったということです。
玄蕃の兄弟も優秀なのですがその話では、兄の部屋にはいっぱい珍しいもの(西洋の物)があって、いろいろと吸収していた。

まだまだ誤解や物足らない紹介も多々ありましたので、誤解のないように引き続き周知にも努めていきたいです!

# by enokama | 2023-12-13 23:20 | 庄内藩 | Comments(0)